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W.G.ゼーバルト『空襲と文学』感想

『空襲と文学』 W.G.ゼーバルト著 鈴木仁子訳 白水社2,300円+税

 第2次世界大戦中、主にイギリスによってドイツは絨毯爆撃を受け甚大な被害を受けたが、戦後ドイツにおいて、そのことが文学で取り上げられることはほとんどなかった。ドレスデンの空爆のことが映画(『ドレスデン――運命の日』)にもなったのも、つい最近のことである(爆撃シーンは迫力だったが、映画自体は安手のメロドラマ仕立てで不満)。

 「ドイツが蒙った空襲体験について、ドイツは文学に残すこともしなかったし、次の世代に伝えてこなかった。」
未曾有の惨事を経験した者は、凄まじい恐怖のために語ることも、ましてや思い出すことすら出来なくなってしまう。しかし語られてこなかったのはそれだけが理由であろうか?

 文学作品として残された数少ない例外としてノサックの『没落(滅亡)Der Untergang』を取り上げ、1943年のハンブルク空爆がどのようなものだったかを検証する。
 そもそも空爆の戦略的妥当性については、「加害者」であるイギリスにおいてすら当時から議論の的だった――軍需産業で生産された大量の兵器を消費するためにすぎないのではないか、と。しかしドイツでは、ノサックによれば、避けられないものとして、「天罰」にも等しく受け止められていた、というのである。

 何に対する「天罰」か。ヒトラーを選び権力を持たせ、ユダヤ人をはじめとする多くの人々を奈落の底に突き落としたことに対してか。自ら招いた災厄への羞恥と意地から、何事もなかったかのように振る舞い、過去を封印したのである。「過去、とりわけ1930年から50年までの時期にまなざしを向けるとき、私たちはいつも、見つめると同時に眼をそらしてきた。」とゼーバルトが語るのは、そういうことだろう。

 戦後50年を経て、ドイツは奇跡の経済復興を果たしたし、もはやナチズムという「過去」は克服した。「アウシュヴィッツ」についてはもういいじゃないか――。1980年代後半のドイツではそんな声が出始め、「歴史家論争」と呼ばれるものにまで発展した。1997年秋にチューリヒ大学における講演をまとめた本書は、一見こうした声に同調しているかのように見える。しかしむしろ、「過去から何も学ばないままいって、また同じ過ちを犯しはしないか。」との危惧の証明である。空襲という悲劇を誘発したのは自分たちだと、「自分たちの国家の礎には累々たる屍が塗り込められている」ことを忘れるなと言っているのだ。

 戦争体験を文学として昇華する、普遍化するという作家の務めを果たさずに、自己正当化に走った作家としてアルフレート・アンデルシュを例に挙げ、容赦なくこき下ろす。その対比として、書くことによって苛酷な体験を忘れないように抵抗し続けたユダヤ系の作家、アメリーとヴァイスについての論考を同時収録している。

『アウステルリッツ』や『土星の環』の作者の激しさを、今まで我々読者は知らずにいたのかも知れない。以上が『空襲と文学』を読んでの感想でした。

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