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2009年6月

映画『愛を読むひと』感想

ドイツの作家ベルンハルト・シュリンク『朗読者Der Vorleser』が原作のハリウッド映画。 

1958年、15歳のマイケルは21歳も年上のハンナと恋に落ちた。マイケルが本を読み聞かせ、セックスする。それは二人の習慣になっていった。しかしある日突然、ハンナは姿を消した。
1966年。法科の学生となっていたマイケルは、ナチ戦犯の裁判を傍聴しに行き、被告席に座っていたハンナを見て衝撃を受ける。
ハンナは戦時中、アウシュヴィッツで看守をしていたうちの一人だった。容疑は、囚人たちのうち誰を死なせるかという「選別」を行ったこと、囚人を護送中寝場所としていた教会が空襲で火事になったのにも拘らず、教会の鍵を開けずに300人のユダヤ人たちを焼死させたこと。その事件の報告書を書いたのは誰かを確かめるために筆跡を調べることとなったが、ハンナは名前を書くことを拒み、報告書を書いたのは自分だ、と言ってしまう。
マイケルには思い当たることがあった。――彼女は読み書きが出来ない!
そのことを裁判官に伝えれば、ハンナに有利になる。しかしそこまでして隠そうとした秘密を暴いていいのかと悩むが、結局何も告げられず、ハンナは無期懲役の判決を受ける。
1976年。離婚し一人娘も手放したマイケルは、獄中のハンナに本を朗読したテープを送り始めた。『オデッセイ』、『犬を連れた奥さん』・・・。あの頃の思い出の本を。ハンナはそれを聞きながら、読み書きを勉強する。ようやく覚えた字でマイケルに手紙を送るが、返事は来なかった。
20年後。ハンナの釈放が決まり、身元引受人を頼まれたマイケルは、初めて彼女に会いに行く。そして出所の日、迎えに行ったマイケルは、その朝ハンナが自殺したことを聞く。
ハンナの遺言に従い、マイケルは彼女の貯金を、あの事件の生き残りの女性に渡しに行く。

ハンナに朗読テープを送り続けたのは、多分同情?しかしそれがハンナに期待を持たせてしまったことに気づき、煩悶する。だから手紙の返事も書けなかったのだろう。
ハンナはやっと面会に来てくれたマイケルを見て、それが愛からではなく義務感からということに気づいてしまったため、誇り高い彼女は死を選ぶしかなかったのだろう。

恋愛物語の側面が前面に押し出されていて、一言でまとめれば、「ひと夏の恋を一生引きずった男の話」(←まとめすぎだ)になってしまうかな。
原作の、「戦争中、親たちの世代は何をしていたか」と問う次世代との葛藤の部分が薄められているのが残念。マイケルを演じたレイフ・ファインズが甘いマスクと雰囲気の上、マイケル自体が煮え切らない男なので、映画もなんか輪郭がぼやけたものに・・・。もちろん、戦争責任というテーマについてはデリケートな問題なので、上手く扱わないと映画自体崩壊する可能性もあるんだけれども。

ドイツ人の話なのに英語なのは百歩譲るとしても、「ミヒャエル・ベルクMichael Berg」が「マイケル・バーグ」とは・・・。人名はせめてドイツ語にして欲しかった。

でもケイト・ウィンスレットはさすがですね。最初、ケイトがハンナ役って聞いたときは、若すぎると思ったけど、30代から70代を演じわけて、結構貫禄もありましたね。しかし、字を書かざるをえない場面はいくらでもあったろうに、どうやって切り抜けてきたんだろう。
そのオスカー女優相手に、『クラバート』で主役をやったデイヴィッド・クロスが大奮闘。部屋に入るなりパンツを脱ぐって、少年、がっついているな~。
4分間のピアニスト』の女の子も、マイケルの娘役でちょろっと出てましたね。

それはそうと、日本版の平井賢のイメージソング、いらないよね。

公式サイト http://www.aiyomu.com/

ドイツ版の公式サイト http://dervorleser-film.de/ 

ドイツ語で吹き替えされた予告動画が見られます。

ハンス・エーリヒ・ノサック『滅亡』感想

『滅亡』ハンス・エーリヒ・ノサック著 神品芳夫訳
岩波文庫 短編集『死神とのインタヴュー』収録

ゼーバルトが『空襲と文学』の中で取り上げた、1943年7月のハンブルク大空襲についてのルポルタージュ。空襲の3ヵ月後に書かれたものです。学生のとき授業で取り上げられ、訳に四苦八苦したことを思い出します。

ノサックはハンブルクの住民だったが、空襲の2、3日前に休暇で郊外の村に行っていて、被災を免れた。市の外から、傍観者として市が滅亡するところを見ることとなった。

被災者たちの多くは南ドイツへ移動した。その一方で、ハンブルク市内へ戻ろうとする者もいた。ノサックもその一人だった。
しかしそこは廃墟であり、墓場であった。
ノサックは自分の事務所の目の前にあった聖カタリーナ教会の無残な姿を見て、いつも見慣れていた風景をどんなに愛していたか、瓦礫と化した我が家を見て、どんな小さなものでさえ自分の一部であったこと、そしてそれは二度と帰ってこないことを悟り呆然とする。

ゼーバルトは『滅亡』から、ハンブルク大空襲の壮絶さを示す箇所ばかり引用しているが、この作品で繰り返し述べられているのは、悲劇に直面した人々の、一言で言えばそれに対する「なす術のなさ」である。

避難民たちは全てを失ったことを嘆き悲しみも、逆に涙をこらえて毅然とした態度をとることもしない。ただ、悪霊が彼らの口を窒息しそうになるほど塞いでいるかのように押し黙っている。そして救いの手を差し伸べてくれた側との間にすれ違いを生じる。
悲劇を「経験した者」と「しない者」、それぞれの現実を理解しあうことは、しょせん不可能なのだ・・・。

ゼーバルトは、空襲体験者たちはそれについて語ってこなかった、と非難しているが、当のノサックは「何のためにこれらすべてを書き留めねばならないのか。なぜならその場にいあわせた者はそれを読む必要がない。またほかの人々はどうなのか。もし彼らが、異様な実話をたのしみ、そのことによって自分の生命感を確かめるためにのみ読むとすればどうだろう。」と述べている。
当事者は、「この悲劇が何故起こったか」と追求することに疚しさを感じていたから語ってこなかったのではなく、思い出したくもなかったのだ。

「わたしはその顛末を報告する責任があると感じている。・・・まずもってこの報告を済ませておかないとわたしの口は永遠に閉ざされたままになると感じられる。・・・当時起こったことを現実のものとして理解し記憶に組み入れることは、通常の理性には絶対不可能となるであろうから、その体験が悪夢のようになってだんだんにぼやけてしまうのではないかとおそれる。」


この『滅亡』はルポルタージュ風だが、ノサックの作品は神話の世界を題材にしたものもや幻想的なものも多い。同じ本の中の、『ドロテーア』や『カサンドラ』もよかった。

コルネーリア・フンケ『魔法の声』感想

機内上映で見た日本未公開の映画「INKHEART」。原作は、ドイツで大人気の児童文学作家、コルネーリア・フンケの『Tintenherzティンテンヘルツ:インクハート』。日本では『魔法の声』という題名で、WAVE出版から出ています。
インクのように黒い心、「闇の心」を持った悪漢に立ち向かう12歳の女の子の物語です。

メギーは本の修繕を生業とする父モルティマ(モー)と二人暮し。母親の記憶はない。
ある日、「ホコリ指Staubfinger」と名乗る男が訪ねてきて、「あの本をカプリコーンに渡せ」と迫った。
翌日、逃げるように大叔母エリノアの家に行ったが、しかしモーはカプリコーンの一味に連れ去られてしまった。メギーはホコリ指の案内で、エリノアとともにカプリコーンの村へ向かう。
 実はモーは、本を朗読すると、物語の登場人物や物をこの世に呼び出すことが出来る魔法の声の持ち主だった。しかしそのかわりに現実世界のものが本の中に入ってしまうのだった。メギーが3歳のとき、『インクハート』という本を朗読していたときに、悪漢カプリコーン、その手下バスタ、火を吐く大道芸人のホコリ指を呼び出してしまった。そしてメギーの母テレサが本の中に送りこまれたのだった。
モーは妻を取り戻すため、ホコリ指は元の世界に返るため、カプリコーンは「あるもの」を呼び出すため、『インクハート』を求めていた。

カプリコーンが呼び出したいものとは、あらゆるものに死をもたらす<影>という不死の怪物。
メギーがモーの能力を受け継いでいることが判明すると、カプリコーンはメギーを着飾らせ、<影>を呼び出すための儀式を行うことにした。

なんやかんやあって、最後は母親とも再会してハッピーエンド。声を失った母親のために、自分で物語を書きたい!と願うところで第1部・完。そう、これは3部作なのです。
第2部が『
魔法の文字(原題Tintenblut(インクの血) 』(WAVE出版)、第3部が未訳で『Tintentod(インクの死)』。

映画では、カプリコーンの村を逃げ出すのに『オズの魔法使い』を朗読して竜巻を起こしたり、メギーが『インクハート』の内容を書き換えてピンチを脱したり、原作より派手な展開になってましたね。
エリノア演ずるヘレン・ミレン(『クイーン』でエリザベス女王を演じた女優)がバイクで疾走、かっこいいー!日本公開、するのかな・・・?

コルネーリア・フンケのサイト
http://www.corneliafunke.de/

映画『INKHEART』のサイト
www.inkheartmovie.com

DVD『太陽』感想

日本の神々は「柱」と数える。それを知ったときふと思った。
ならば神に捧げられし「人柱」は、人であると同時に神なのではなかろうか。「あの御方」もまた、国の礎として神に捧げられた「人柱」であるがゆえに、「現人神」と言えるのではなかろうか、と。

闇は、まだ明けなかった。1945年8月。その時、彼は庭師のように質素な身なりをしていた。その人の名前は、昭和天皇ヒロヒト。宮殿はすでに焼け落ち、天皇は、地下の待避壕か、唯一被災を免れた石造りの生物研究所で暮らしていた。戦況は逼迫していたが、彼は戦争を止めることができなかった。その苦悩は悪夢に姿を変え、午睡の天皇に襲いかかる。みるみるうちに焦土となる東京。失われる多くの命。うなされるように目を覚ます天皇の孤独。日本は、まだ闇の中にある。やがて、連合国占領軍総司令官ダグラス・マッカーサーとの会見の日が訪れる。彼は、ひとつの決意を胸に秘めていた…。(パンフより)

ロシア人監督が作った「昭和天皇」が主人公の映画。それゆえに、日本公開が危ぶまれた映画。しかし実際公開されたら、何の騒ぎもなかったでしたよね。
政治的歴史的事象を語る映画ではなく、「昭和天皇」という人物を、恐れや弱さを持ったひとりの人間として描き出した、言ってしまえば「外国人が考えたファンタジー映画」でした。役者の個性とかイメージとかが強いし。

実際は東京大空襲から「人間宣言」にいたる半年の出来事を描いているんですが、一つ一つのエピソードが切れ目なく展開していて、まるで1日の出来事のよう。
映像が幻想的で美しい。例えば東京大空襲の場面。翼の生えた魚が水面を泳ぐかのごとく空を泳ぎまわり街を襲う。爆音が響き渡る。炎が街を焼く。逃げ惑う人々・・・。
ただ、オリジナルの予告版を見るともっとビビッドな色合いで、緊迫した場面を次々と映し出しスリリングな印象なんですが、日本版ではセピア色の色合いが強く、感傷的な場面をつないでいてノスタルジックな印象を受ける。なんで変えたのかな?中味はスリリングでも感傷的でもないんですが、オリジナル映像を見たら、また印象も変わるかも知れない。

天皇を演じるイッセー尾形、喋ったら「ああ、イッセー尾形だ」なんですが、後半の方にはそれも気にならなくなり、昭和天皇をほうふつとさせて、一瞬ハッとする。
天皇が鶴に帽子を取って挨拶する場面はとても自然でした。
「極光」について研究所長と話すシーンも、味わい深いものがあります。

天皇は常に口をもぐもぐさせています。言えない言葉を飲み込むかのように。問いかけにストレートに答えず、話を変えてしまったりズレたことを言ったりして、微妙にかみ合わない。この辺も現実離れした感じをさせるのだと思う。

印象に残ったのは、やはりマッカーサーとの会見のシーン(葉巻から葉巻へ火を移す場面が妙にホモくさい)。
米国大使館に呼ばれた天皇。道すがら、瓦礫と化した東京を見て呆然とする。日系の通訳は、「英語で話さないように、彼(マッカーサー)と身分が同等になってしまうから」とかしこまる。
帰りがけ、ドアの前で戸惑う天皇。常に侍従が開け閉めしているので、ドアの開け方を知らないんですね。

「闇に包まれた国民の前に、太陽はやってくるのだろうか。」その言葉に応えるかのように、ラストは薄日射す東京の空。淡々と、淡々と描く日本の「太陽」。日本人には描けない映画だと思いました。(もっとウェットになるはず。)

最後にまったくの余談だが、映画館で見たときは「ゴーッ」と音がしていて、映画の効果音と思っていたけれと、今回見たら入ってなかった。あれはどうやら、背後を走る地下鉄の音だったようだ。

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<イッセー尾形さんのサイン>

ドイツ料理を習う~グラーシュ~

ドイツ料理サロン「エスツィンマー」に行ってきました。今回は写真を撮ってきましたよ!

①Vorspeise (フォアシュパイゼ:前菜)
  
Grune Sose(グリューネ・ゾーゼ)緑のソース
②H
auptgericht(ハウプトゲリヒト:メインディッシュ)
  
Ungarisches Gulasch(ウンガリッシェス グラーシュ)ハンガリー風グラーシュ

③Nachtisch(ナッハティッシュ:デザート)
  Weinkaltschale(ヴァインカルトシャーレ)ワインの冷たいスープ

これを③→②→①の順番で作りました。(なので、記載順も③→②→①になっています。)

③ Weinkaltschale

Schaleは果汁やワインの入った冷たいスープ、(飲み物の)「パンチ」のことです。ワイン入りのフルーツジュース、というより、フルーツジュース入りのワイン、というくらい酒入ってます。

白ワイン750ml、タピオカ30g、白ぶどうジュース500ml、
熟した桃2(缶詰でも可)、いちご250ml、レモン1/2個、ブランデー ショットグラス2杯分、砂糖大さじ2、(付け合せに)マコロンなど
(ブルーベリーやみかんを入れてもいい)

白ワイン500mlを温め、タピオカを加えて弱火で20分。ときどきかき混ぜる。ぶどうジュースを加え、冷蔵庫で冷やす。・・・①

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桃は皮を湯剥きし、種を取り(←缶詰の桃の場合は、ここまでを省略)、適当な大きさに切る。
イチゴは洗ってヘタを取る。
これらをフォークで潰すか、ミキサーにかけたものを、①に加える。
残りのワイン、レモンの絞り汁、ブランデーも同様に加える。
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器に注いで、マコロンなどを添えて食べる。
(マコロンがなかったから「そばぼうろ」で代用。意外にイケる。)

② Ungarisches Gulasch(6人分)


グラーシュは元々はハンガリー料理ですが、ドイツでもポピュラーな料理。

牛肉600g
玉ねぎ2、ジャガイモ600g、ニンニク1かけ、ピーマン5~6個、トマト2、
パプリカパウダー、キャラウェー、塩コショウ、コンソメパウダー、水

薄切りにした玉ねぎは油で金色になるまで炒め、次に角切りにした肉を炒める。塩とパプリカパウダーを振りかけ、しばらくの間とろ火で煮る。それから少しづつ水を注ぎ、煮込む。

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賽の目に切ったジャガイモ、ニンニク、キャラウェーと小さく切ったピーマンを加え、新たに水を追加し、さらに煮こむ。出来上がる直前に小さく切ったトマトを入れる。

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必要ならコンソメや塩コショウで味つけする。小麦粉やコーンスターチでとろみをつけてもよい。

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小麦粉200g、卵1、塩を混ぜて小さくちぎったもの(Csipetke)をグラーシュに入れて一緒に煮込む。

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<↑できあがり>

① Grüne Sose (6~7人分)

ヘッセン地方(フランクフルト周辺)の料理。茹で卵やパン、牛肉や白身魚などと一緒に食べます。ソースというよりディップって感じ。イースターの週の木曜日(Grüne Donnerstag)に食べるそうです。

サワークリーム250ml、生クリーム大さじ2、レモン1/2個、卵2
ハーブ200g(アサツキ、パセリ、カラシ菜(生を刻んだもの)、ディル、乾燥したエストラゴン)、シャロットあるいは小玉ねぎ2
カッテージチーズ200g、塩コショウ

サワークリームと生クリーム、レモンの絞り汁とみじん切りにした固ゆで卵を混ぜ合わせる。
ハーブは洗ってから水気を取り、細かく刻む(装飾用に少し取っておく)。シャロット(あるいは小玉ねぎ)を賽の目に切って、ハーブとともにソースに入れる。
カッテージチーズを加え、ソースを滑らかになるまで混ぜる。

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<本当は卵はもっと固く茹でた方がよかった>


ソースを冷蔵庫で冷やす。取っておいたハーブをまぶして、半分に切った固茹で卵と一緒に食べる。

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DVD『さらば、わが愛/覇王別姫』感想

京劇、好きなんですよね。鮮やかで美しい衣装、節回し、ケレン味たっぷりの演技・・・。一度、北京の京劇専用の劇場で見たことがあるのですが、本当に感動しました。いい演技をしたときには「哈(ハオ!)いいぞ!」と声をかけるそうですよ。歴史に残る京劇役者の伝記的映画『花の生涯―梅蘭芳』を見逃してしまったので、同じ監督、同じ京劇がテーマの『覇王別姫』を見ました。

1925年、北京。娼婦の母親に連れられ、孤児や貧民の子供たちが集まる京劇の養成所に入った少年・小豆。新入りの小豆は他の子供たちからいじめられたが、石頭だけは彼を弟のようにかばい、小豆も石頭を兄のように慕った。
厳しい稽古を積み成長した二人は、石頭は“段小樓”、女形になった小豆は“程蝶衣”と芸名を改め、京劇『覇王別姫』のコンビとして人気を博す。
小樓はある日、酔客に絡まれていた娼婦の菊仙を助けたことをきっかけに、彼女と結婚する。少年時代より小樓に想いを寄せていた蝶衣は袂を分かつ。その日北京は日本軍に占領された。
ある日小樓は楽屋で騒動を起こし日本軍に連行されてしまう。小樓を救うため、蝶衣は日本人将校の宴席で歌う。しかし彼の尽力で釈放されたのにも拘わらず、小樓は蝶衣の頬に唾を吐きかけ、菊仙とともに去る。深く傷ついた蝶衣はアヘンに溺れる。
49年、共産党政権樹立。蝶衣と小樓は再び舞台に立つが、今度は蝶衣が、かつて日本軍の宴席に出たという理由で裁判にかけられる。小樓から決別の手紙を受け取った蝶衣は絶望し、京劇界の実力者でパトロンの袁世卿の取り成しをも無駄にしてしまう。
京劇は新しい革命思想に沿うよう変革を求められていた。袁世卿ですら反体制派として処刑された。伝統を重んじる蝶衣は弟子の小四に批判され、そればかりか彼に『覇王別姫』の虞姫役を奪われてしまう。ショックを受けた蝶衣は芝居をやめる。
66年、文化大革命の嵐が吹き荒れ、京劇役者らも吊るし上げられた。小樓は自己批判をするよう強制され、それに屈した小樓は蝶衣の所業を暴きたてる。裏切られた蝶衣は、菊仙が娼婦だった過去を暴露し、小樓は「娼婦だった菊仙など愛していない」と言ってしまう。その言葉を聞いた菊仙は自殺する。
77年、四人組が逮捕され、文革が終結する。蝶衣と小樓は無人の体育館におもむき、11年ぶりに二人だけで最後の『覇王別姫』を演じる。

京劇役者二人と一人の女の、同性愛がらみの愛憎劇だったっけな、という認識だったのですが、これは、「激動の20世紀 in China」な映画だったんですね。

文化革命は1966~76年の10年間続いた、封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しようという運動。しかし実態は、中国共産党内部の政治闘争だったようです。そしてこれが大衆を巻き込んだ大粛清へと発展していったのです。
当初は事業家などの資本家層が、さらに学者、医師、弁護士などの知識人等が弾圧されました。映画の中でもありましたが、弾圧の対象となった人々は街中を引き回され、吊るし上げられ「自己批判」を強要されました。(Wikipediaより引用)

文革が終わって、二人で『覇王別姫』を演じますが、どちらから「やろう」と言い出したんだろう。蝶衣か。そして何故蝶衣は、演じ終わった後自らの命を断ったのか。虞姫は王の足手まといになるまいとして自決するが、蝶衣は裏切られても消せない小樓への想いを断ち切るために、死を選ぶしかなかったのだろうか。
母に捨てられた小豆=蝶衣にとっては、かばってくれた小樓の優しさがすべてだった。それが大人になっても変わらなくて、だから「同性愛」といっても(性的な)生々しさがなかったように思います。でも、菊仙に初めて会ったときは、「女」そのものでしたね。最初は蝶衣を嫌っていた菊仙も、いつしか彼の気持ちを理解し受け入れるようになるのが面白かった。

しかしレスリー・チャン演じる蝶衣の女形姿の美しいこと!同じ衣装を着ていても、やはり弟子の小四とは迫力、優雅さが違いましたね。また京劇を見に行きたくなりました。

DVD『ザ・フォール 落下の王国』感想

なんという映像美・・・!これ公開中見そびれてしまったのでしたが、う~ん、やっぱり映画館の大画面で見たかった。

「時は1915年。映画の撮影中、橋から落ちて負う怪我を負い、病室のベッドに横たわるスタントマンのロイは、追い討ちをかけるように、私生活でも恋人を主演俳優に奪われ、自暴自棄になっていた。そこに現れたのが、オレンジの木から落ち、腕を骨折して入院していた5歳の少女、アレクサンドリア。ロイは動けない自分に代わって、自殺するための薬を薬剤室から盗んでこさせるべく、純真無垢な彼女を利用することを計画。アレクサンドリアの気を引こうと、思いつきの物語を聞かせ始める。」(公式サイトより)。

それぞれの理由から、総督オウディアスに復讐を誓った6人の戦士たち。アレクサンドリアの想像の中では、黒山賊は父(後にはロイ)、黒山賊と恋に落ちる姫は看護師のエヴリン、総督オウディアスはロイの恋敵(主演俳優のシンクレア)だったりします。現実でロイが絶望して飲んだくれていると、黒山賊も酒を煽っていたり、老人の入れ歯が「物語」の霊者の力の源だったりと、現実と物語が微妙にシンクロしてます。

世界24カ国以上、世界遺産13ヶ所でロケを敢行したとのこと。中国の万里の長城、カンボジアのアンコールワット、エジプトのピラミッド・・・。なんというダイナミックな映像!
予告にも使われている、メヴラーナ教団みたいな人々が旋廻するシーンは、ウメイド・バワン・パレスというインドのマハラジャの御殿がそのロケ地だそうです。私も行ったことのあるローマのカンピドリオまで出てきて「うわー!」と感激しました。象が泳ぐシーンなども感動モノでした。 壮大な景色をバックに流れる挿入曲(
ベートーベンの交響曲第7番イ長調 第2楽章)も、物語をよりスケールアップしていてよかった。

アレクサンドリア役の子がかわいい!美少女、というよりぽっちゃりして愛嬌がある感じで、子どもらしい笑顔がほんとにキュート。
移民の子どもで英語がまだ拙い、という設定で、ロイが書いたメモ
MORPHINEMORPHIN3と読み間違えてしまい、モルフィネを3粒しか持ってこないで残りは捨てる、ということをやらかしちゃう。
「物語」の中のIndianを文字どおり「インド人」だと思っているが、どうもロイは「(ネイティヴ・アメリカンの)インディアン」として話していたような気がする。

衣装を担当した石岡瑛子さんは、北京オリンピックで開会式のコスチュームデザインを担当したデザイナーでもあります。奇抜で華麗、かつセクシーな衣装に目が釘付け。
「黒山賊の娘」として途中から物語に入り込んだアレクサンドリアも、ちゃっかり(?)黒山賊と同じ衣装を着ていて、可愛いのなんの。

薬がなくちゃ眠れない、という嘘を信じたアレクサンドリアが、自殺未遂を起こしたロイのために薬剤室に忍び込むが、誤って頭を打ってしまう。
それでも彼女は、「話をしたのは君を操るため」、と告白しに来たロイになおも話をせがむ。こんな小さな子どもまで利用しようとした自分が情けなくなったロイは、話を終わらせようと登場人物を次々と死なせてしまう。アレクサンドリアは「二人の物語よ。死なせないで」と必死に懇願する。彼にとってはその場しのぎの作り話。そんなものを一生懸命信じてくれる人がいる。「死なせないで、生かして」という言葉は自分に向けられたように響いたのだろうか。黒山賊が総督オウディアスを倒し、姫にもきっぱりと別れを告げるラストに変える。
この映画のテーマは「物語の力」。青年が、生きる希望を取り戻したということを物語るすがすがしいラストでした。

シェンゲン協定Schengener Abkommen

リューベックに向かうため、ポーランドのグダンスク空港でチェックインをしていたときの話です。
職員に「
シェンゲンヴィザは?」と聞かれました。ええ?何それ?そんなヴィザ聞いたことがない。第一ドイツから入国したときも何も言われなかったよ!思い切り「NO!」と答えると、職員はどこかに電話しました。やはり必要ないということだったのか、そのまま手続きをしてくれました。

あれはいったいどういう意味だったんだろう。ということで調べてみました。シェンゲン協定とは、

「ヨーロッパ各国において、共通の出入国管理政策及び国境システムを可能にする取り決めである。アイルランドとイギリスを除く全てのEU加盟国及び、EUに非加盟であるアイスランド、ノルウェー、スイスとリヒテンシュタインの計29ヶ国が協定に調印し、そのうち25ヶ国が施行している。シェンゲン協定加盟国間のボーダーポストや国境検問所は撤去されており、共通のシェンゲン査証により本地域各国への入国が可能である。但しこの協定は、非EU国民の居住や就業許可は対象外である。

シェンゲン加盟国は、一つ、複数或いは全ての加盟国への3ヶ月を超過しない短期滞在のために統一された査証に関する詳細な規則を持っている。シェンゲン査証には通過用と短期滞在・旅行用があり、日本は査証免除国のうちの一つである。」(Wikipediaより引用。)

(日本から)最初に入国したシェンゲン加盟国で入国審査をパスすれば、加盟国内においては国境を通過するごとに出入国審査を受けなくてもOK。そして最後に出国する国で出国審査を受ければいいのです。ポーランドは、2007年12月に加盟しています。

加盟国に入国するにはシェンゲンヴィザ(査証)が必要で、それがあれば、一つまたは複数の加盟国で、6ヶ月で合計90日以内の日数の滞在が可能。
日本は査証が免除されていますが、中国や台湾、北朝鮮籍などの人は必要なようです。

カウンターの職員は、中国と同じだと思ったのかな?日本人なんかめったに来なさそうなところだもんね。

ところで、イギリスは加入していないんですね。
そういえば、グダンスク空港は2階が出発ロビーですが、「イギリス行きの飛行機の搭乗ゲートはこちら」というふうに区別されていました。今思えば、あちらには入国審査窓口が設けられていたんでしょうね。

ベルリンからは、ロンドン経由で帰ってきたんですが、ボディチェックを受けている列の横にブースがあり、そこで出国スタンプを押してもらいました。
もしイギリスが加盟国なら、ヒースローで出国スタンプを押してもらってたんでしょう。

DVD『レッドクリフPartⅠ』感想

『三国志』の中でも最も有名な合戦である「赤壁の戦い」を映像化した、ジョン・ウー監督の『レッド・クリフPARTⅠ』。本作では周瑜、孔明を中心に「赤壁の戦い」に至るまでの経緯を描く。登場人物が多くて、メモを取りながら視聴。

今から1800年前。中国では漢王朝が衰退しつつあり、各地で戦乱が起こっていた。曹操は皇帝を操り、敵対する劉備と孫権を逆賊として討伐しようとしていた。
曹操軍に追われる劉備軍は、孫権軍と同盟を結ぶため、軍師の孔明を孫権のもとに遣わす。しかし孫権軍では老臣たちの反対にあい、交渉は難航した。そんな中、孔明は赤壁で孫権軍の司令官・周瑜と出会う。2人はお互いの才能や人柄を認めあい、共に戦う事を決意した。
決戦の地は赤壁。80万の兵を擁する曹操軍を目の前にして、劉備・孫権の連合軍はどう戦うのか!?

戦闘シーンが大迫力でしたね~!でも長すぎて途中で端折りましたが。
劉備軍が民を連れて敗走中で、三将軍ですらろくに軍装が整っていないのに対して、周瑜ら孫権軍の兵士たちは鎧兜をきっちり着込んでる。その対比が面白かった。

周瑜演ずるトニー・レオンは、音曲も解する、風雅でカリスマ性のある武将を熱演。アクティブなトニー、なんだか新鮮(←私のトニー・レオン像はだいぶ偏っているようだ)。しかし、美人の妻・小喬にデレデレしすぎ。小喬が無駄に婀娜っぽくて、画面から浮いていた気が・・・。出てくる場面が少ないから余計目立つのか?
で、曹操がこの美人妻が欲しくて戦いを起こした・・・て、ええぇぇぇ?それ聞いたら兵士たち怒っちゃうよ。
曹操が、小喬に似た美姫を侍らせてご満悦、の場面は、哀れを通り越して滑稽でした。

一方、金城武演ずる諸葛孔明は、ふわりとして涼しげで、でも何処か胡散くさいところが。周瑜と孔明、キャスティング逆じゃないか、と思ってましたが、こういうのもありかなあ。
実際、最初に孔明役としてオファーがあったのはトニー・レオンの方だったそうです。体調不良を理由に断ったのに、周瑜役の人が降板したと聞いて、ウー監督のためにこの役を引き受けたとか。

PART2では、女性が大活躍するらしいですね。戦いの場に女を絡ませるな、話が陳腐になる傾向があるから、とも思うのですが、続きが楽しみです!

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