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ハンス・エーリヒ・ノサック『滅亡』感想

『滅亡』ハンス・エーリヒ・ノサック著 神品芳夫訳
岩波文庫 短編集『死神とのインタヴュー』収録

ゼーバルトが『空襲と文学』の中で取り上げた、1943年7月のハンブルク大空襲についてのルポルタージュ。空襲の3ヵ月後に書かれたものです。学生のとき授業で取り上げられ、訳に四苦八苦したことを思い出します。

ノサックはハンブルクの住民だったが、空襲の2、3日前に休暇で郊外の村に行っていて、被災を免れた。市の外から、傍観者として市が滅亡するところを見ることとなった。

被災者たちの多くは南ドイツへ移動した。その一方で、ハンブルク市内へ戻ろうとする者もいた。ノサックもその一人だった。
しかしそこは廃墟であり、墓場であった。
ノサックは自分の事務所の目の前にあった聖カタリーナ教会の無残な姿を見て、いつも見慣れていた風景をどんなに愛していたか、瓦礫と化した我が家を見て、どんな小さなものでさえ自分の一部であったこと、そしてそれは二度と帰ってこないことを悟り呆然とする。

ゼーバルトは『滅亡』から、ハンブルク大空襲の壮絶さを示す箇所ばかり引用しているが、この作品で繰り返し述べられているのは、悲劇に直面した人々の、一言で言えばそれに対する「なす術のなさ」である。

避難民たちは全てを失ったことを嘆き悲しみも、逆に涙をこらえて毅然とした態度をとることもしない。ただ、悪霊が彼らの口を窒息しそうになるほど塞いでいるかのように押し黙っている。そして救いの手を差し伸べてくれた側との間にすれ違いを生じる。
悲劇を「経験した者」と「しない者」、それぞれの現実を理解しあうことは、しょせん不可能なのだ・・・。

ゼーバルトは、空襲体験者たちはそれについて語ってこなかった、と非難しているが、当のノサックは「何のためにこれらすべてを書き留めねばならないのか。なぜならその場にいあわせた者はそれを読む必要がない。またほかの人々はどうなのか。もし彼らが、異様な実話をたのしみ、そのことによって自分の生命感を確かめるためにのみ読むとすればどうだろう。」と述べている。
当事者は、「この悲劇が何故起こったか」と追求することに疚しさを感じていたから語ってこなかったのではなく、思い出したくもなかったのだ。

「わたしはその顛末を報告する責任があると感じている。・・・まずもってこの報告を済ませておかないとわたしの口は永遠に閉ざされたままになると感じられる。・・・当時起こったことを現実のものとして理解し記憶に組み入れることは、通常の理性には絶対不可能となるであろうから、その体験が悪夢のようになってだんだんにぼやけてしまうのではないかとおそれる。」


この『滅亡』はルポルタージュ風だが、ノサックの作品は神話の世界を題材にしたものもや幻想的なものも多い。同じ本の中の、『ドロテーア』や『カサンドラ』もよかった。

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