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DVD『セブン・イヤーズ・イン・チベット』』感想

 先日見た「アイガー北壁」つながりで、初登攀した登山家ハインリヒ・ハラーがその後ヒマラヤ探検に出かけ、チベットで若き日のダライ・ラマ14世と親交を結んだという話を映画化した『セブン・イヤーズ・イン・チベット』を見ました。ブラット・ピットの出世作ですね。

 1939年秋、ナチス統制下のオーストリア。有名な登山家ハラーは身重の妻をおいて、彼は同国人のペーター・アウフシュナイダーと共に、ヒマラヤ探検に旅立った。しかし第二次世界大戦の勃発で、彼らはイギリス軍の捕虜となる。ハラーは何度となく収容所からの脱走を試みるが、すぐに連れ戻される。妻からは離婚してくれと手紙が届いた。
 収容所生活も2年を超えた1942年9月。ハラーとアウフシュナイダーは、監視の目を欺いて脱出し、2年に渡る長い逃避行を経て、1945年チベットの首都ラサに辿り着く。
 幸いにも政府高官のツァロンがハラーたちのよき理解者として、あらゆる援助の手を差し伸べてくれた。ハラーたちも、次第にラサの生活になじんでいく。
 1945年、ドイツが降伏し終戦を迎える。帰国しようとした矢先、ハラーはダライ・ラマの母親を介してダライ・ラマに謁見する機会を得る。西洋文明に対して大きな興味を示すダライ・ラマに、「映画館をつくってほしい」と依頼される。ハラーは英語や地理などを教えながら、ダライ・ラマと深い友情で結ばれていく。
 その頃、中国政府とチベットの間の緊張が急激に高まっていた。中華人民共和国が成立し、中国全権大使が突然やって来る。彼らを前にダライ・ラマは平和的な精神性を説くが、宗教を否定する全権使節は怒ってしまう。ダライ・ラマは中国の侵略によってチベット人が虐殺される夢にうなされるが、不幸にもそれは現実となった。
 1951年、激動の中でハラーはチベット滞在に終止符を打つ。ダライ・ラマは大事にしていたオルゴールを、友情の証としてハラーに与える。

この映画と同時期に、スコセッシ監督による『クンドゥン』という映画が公開されていて、そちらの方は見ましたが、「チベット流行りなのかな~」ぐらいにしか思っていませんでしたが、あの外国人が「アイガー北壁」と繋がっているなんて思いも寄らなかったわ。

ハラーは、一人だけ脱走しようとしたりアウフシュナイダーが現地の女性と結婚したのを妬んだりする、いけ好かない男として描かれていますが、チベットの雄大な景色やラサの心優しい人々と交流していくうちにハラーの荒んだ心も癒されていきます。ハラーはダライ・ラマに、まだ見ぬ息子を重ねていたんでしょうね。
 
ダライ・ラマもハラーの前では、少年らしい笑顔を見せますが、中国の使者の前では御仏の教えを説く宗教指導者の顔をしていました。
1959年にダライ・ラマ14世はインドに亡命し、ハラーとの友情はその後も続いたそうです。

中国軍による虐殺シーンはあまりに残虐で目を覆いました。現在も続くチベット問題、胸が痛みます・・・。

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