『雪の練習生』感想
先日の記事で本書を紹介しましたが、ようやく読み終えたので感想です。
「祖母の退化論」
サーカスの花形だった「わたし」は、腰を痛めて引退して以来、事務方にまわり会議などにも出席するようになっていた。ある日キエフで会議に出席していたとき、ふと子どものときの思い出がよみがえる。
書いた物を知り合いの雑誌編集者のオットセイに見せると、勝手に雑誌に載せてしまった。それは好評を博し、こうして「わたし」は作家になった。
外国語への翻訳がきっかけで当局に睨まれるようになり、西側の支援団体の手引きで、西ベルリンに亡命、その後カナダへ渡る。
カナダで今度は過去ではなく、未来を描いた自伝を書き始める。自分の運命を自由自在に動かすために。
娘のトスカはバレリーナになって舞台に立ち、チャイコフスキーの「白鳥の湖」を踊り、やがて可愛らしい息子を生む。わたしにとっては初孫だ。その子はクヌートと名付けよう。
祖母の「わたし」は、Lisaのことじゃなかったですね。Lisaは父方の方の祖母。
曽祖父オラフ・曾祖母カチューシャ―祖母リーザ―父ラース―クヌート
家系図的には、こんな感じ?
「死の接吻」
サーカスの女芸人ウルズラは、バレリーナとして日の目を見ないトスカと出会う。
そして、「死の接吻」という芸を考え出し、それで二人は世界的に有名になる。
1999年、サーカスは解体し、トスカはベルリン動物園に売られた。離れ離れになってからも、メールをやり取りし、二人の友情は死ぬまで続いた。
この章は、ウルズラの伝記をトスカが書く、という構図になっています。
トスカはサーカスでのストレスから育児放棄した、という見解がありますが、ここではあっと驚く理由が書かれていました。
しかし絶滅寸前のホッキョクグマにサーカスの芸をさせる、なんて考えられない。
「北極を思う日」
母トスカから捨てられながらも、「マティアス」という名の人間の手で育てられたクヌート。マティアスが園舎に泊り込んでまでして世話し、無事に成長したクヌートがマスコミの前に登場するや、彼の愛くるしさに世界中が注目した。特に何の芸もしなくても。
ある日、クヌートがマティアスを怪我させたことがきっかけで、共同生活に終止符が打たれる。
マティアスは2度と現れず、のちにクヌートは新聞で彼の死を知る。
外に出られないクヌートがただ想うのは、冬の訪れ。ひんやりうっとりとした、まだ見ぬ北極。
ベルリン在住の著者、もしかして年間パスポートを買ってて、しょっちゅうクヌートウォッチングしてるんじゃないかと思うくらい、「クヌート萌え」してます。
マティアスが来なくなってから後に、ホモサピエンスであるマティアスが自分を育ててくれたことが稀に見る奇跡だったことに気づく場面は、その愛おしさに涙が出そう。(←大げさ)
クヌートが、特に何もしなくても人の目を引きつける、見る者を喜ばせる動きを見せるのは、サーカスの花形だった祖母や母の遺伝子を受け継いでいるせい、というのは目から鱗の解釈です。
本来自然の中にいるホッキョクグマがサーカスや動物園にいるのは不自然、という人がいるけれど、最初からそういう環境の中にいる彼らにとっては、人間と共にいることの方が自然。
この物語は、白い毛皮をまとったホモサピエンスの物語と言えるかもしれません。
前の2章が、成熟した女性を思わせる文体。
ですがクヌート目線で書かれたこの章は、成長に合わせて文体が変わっていきます。赤ちゃんである最初の方は、なんとなく『我輩は猫である』を思い出しました。
題名の『雪の練習生』にまつわるようなエピソード、結局出てこなかったような気が・・・。
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