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2013年8月

DVD『コッホ先生と僕らの革命』感想

原題は Der ganz große Traum (実に大きな夢)。
しかし題名とかに「革命」をつけるの、最近よく見るけど流行りなのかね。

1874年、帝政ドイツの歴史ある都市ブラウンシュヴァイクに、若き英語教師が馬車に揺られてやってきた。
コンラート・コッホ。後に<ドイツ・サッカーの父>と呼ばれる人物である。
名門カタリネウム校の進歩的なグスタフ校長に、ドイツ初の英語教師として招かれたのだ。その手には、留学先のイギリスで親しんだサッカーのボールがあった。

 ところが、初めて教室に入ったコッホを待っていたのは、生徒たちのイギリスに対する強い偏見だった。しかも、級長ハートゥングが中心となって、教室でただひとりの労働者階級出身のヨスト・ボーンシュテットをいじめていることがわかる。

 その夜のパーティでコッホは、ハートゥングの父親と出会う。彼は地元の名士で後援会会長も務め、カタリネウム校に対しても絶大な権限を持っていた。「ドイツ帝国の教育は秩序と規律、服従がすべて」と語る彼は、子どもたちの未来のために進歩的な教育を施したいと考えるコッホと対立した。

 英語に全く関心を示さず、学ぶ意欲のない生徒たちを見て、コッホは授業にサッカーを取り入れることにする。すっかりサッカーに夢中になった生徒たちは、サッカー用語を通じて英語の授業も熱心に受けるようになる。

 その中でも、体操用品会社の社長の息子オットー・シュリッカーは、早速、ボールに興味を持ち、同じようなものを作れないかと自分で開発を始める。一方、サッカーに並外れた才能を見せ始めたボーンシュテットは、次第にクラスの皆から一目置かれるようになっていく。

 ある日、後援会のメンバーと校長がコッホの授業を参観しようと教室を見ると、教室はもぬけの殻。歓声が聞こえてきた体育館に入ると、サッカーの試合の真っ最中で、運悪く、ボーンシュテットが蹴ったボールが牧師の股間に命中してしまう。
激怒したハートゥング会長は即刻サッカーを禁止するようにと校長に命じ、さもなくばコッホを解雇すると脅す。退学処分の最後通告を受けたボーンシュテットの母親からも、息子の将来を危険に晒したとコッホは責められる。

 いったんは学内のサッカー禁止令に従ったコッホだったが、生徒たちの暗い表情を見て、一計を講じる。「学校の外では自由だ。あとは君たちにまかせる」。放課後、シュリッカーを中心に自発的にサッカーの練習を取り組むようになった生徒たちに、コッホも熱心に教え、次第にクラスは本物のチームとしてまとまりを見せていく。

フェアプレイ、仲間意識、そして自由な精神。コッホがサッカーを通じて教えたかったことが、抑圧された生徒たちの中で実を結んだのだった。

しかし学校や親の目を盗んでサッカーをしていることが発覚し、コッホのクビもいよいよ怪しくなる。 
恋仲のメイドのロザリーと引き裂かれたこともあり、父親に反発し始めたハートゥングは、校長秘書のザルヒョウを巻き込んで、帝国教育庁から視察団を呼び寄せることに成功する。
しかし、ボーンシュテットからロザリーの危機を知ったハートゥングが窓から飛び降りてケガをするにあたり、父親のハートゥング会長は即刻、コッホの解雇とボーンシュテットの退学を言い渡す。

ところがコッホが学校を去ろうとしたそのとき、コッホの親友イアンが、自分の生徒を引き連れイギリスからサッカーの試合をしにやってきた!そこへちょうど視察団も到着。街中を巻き込んでのサッカーの試合が始まった・・・。

1874年頃のドイツが舞台、ということは、対仏戦争に勝って「ドイツ帝国」が誕生した頃。社会の変革期でもあったわけです。
資産階級のハートゥングの父親がボーンシュテットを見て、「労働者階級が自分たちに取って代わろうとしている」とピリピリするのもわかるような。

本作は、「ドイツ・サッカー誕生秘話」であるとともみ、少年たちの成長物語でもあります。
ボーンシュテットを「プロレタリア」と見下すいけ好かないヤローだった資産家の息子ハートゥングが、ゴールを共に喜び合ったり、虐められてオドオドしていたボーンシュテットが「自分はサッカーをやりたいんだ!」と自分を出せるようになったり、見ていてすがすがしいものがありますね。
グズでのろまだったのに、チームをまとめたり、自分の試作したサッカーボールを試合している横で売らせたりと、大活躍したシュリッカーが本作の影の主役かも(笑)。

ドイツで19世紀以降行われた体操はトゥルネンTurnenと呼ばれ、ナポレオンに支配されたドイツの解放運動の一環としてF.L.ヤーンが始めた身体運動中心の青少年教育活動である。主に、吊り輪やあん馬などの器械体操が中心でした。愛国運動的側面もあったヤーンの思想は、後にナチス・ドイツに受け継がれていきます。

映画にも体操の教師が出てきますが、筋骨隆々で口ひげをたくわえた人物という、当時のカリカチュアなどで描かれているとおりの典型的な「体操教師」でしたね。

公式サイト:http://kakumei.gaga.ne.jp/top.html

ホッキョクグマ「ヴォロージャWolodja」、ベルリン動物公園へ

大ニュースです!クヌート亡き後のベルリンに、ホッキョクグマの男の子がモスクワからやって来ました。

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(写真はTAGESSPIEGELより)
1歳と9ヶ月のヴォロージャです。8月9日にベルリンに移送され、8月24日(金)にお披露目されたそうですが、早くもファンが詰めかけた様子。「クヌートより力強い感じ」だそうです。
ちなみにヴォロージャの好物は、(クヌートが好きだった)クロワッサンではなくて、スイカですって。

現在ベルリンには、西側のベルリン動物園Zoo Berlinに「カチューシャ」、「ナンシー」、クヌートの母「トスカ」の「Drei Damen」がいて、東側のベルリン動物公園Tierpark Berlinにオスの「トロル」、メスのアイカ、そしてクヌートのお嫁さんになるはずだった3歳の「トーニャ」がいます。
ヴォロージャは、ゆくゆくはこのトーニャのお婿さんとしてモスクワ動物園からやってきたというのです。

しかしこのヴォロージャ、トーニャの弟ではないかという疑惑があります。
ヴォロージャは母シモーナSimonaと父ヴランゲル Vrangelの三つ子のうちの1匹だそうです。トーニャは母ムルマMurmaと父ウンタイUntaiの子ということになっていますが、ほんとはシモーナ母さんの子じゃないかという指摘もあるそうです。
もし本当に姉弟だったら近親交配、危険な話です。
それにあのホッキョクグマ舎に4匹は狭すぎる、という動物愛護団体からの声も上がっています。
真偽はともかく、ベルリンにホッキョクグマが来てくれました!絶対に会いに行かなきゃ!
ヴォロージャは毎日8時から13時まで屋外展示場に出されるそうです。

ベルンハルト・シュリンク『夏の嘘』感想

感想というより、備忘録という感じですが。

「小さな嘘が照らし出す、かけがえのない人への秘められた思い。十年ぶりの短篇集。 避暑地で出会った男女。疎遠だった父と息子。癌を患う元大学教授。人気女性作家とその夫。老女とかつての恋人。機内で隣り合わせ、奇妙な身の上を語り続ける男――。ふとしたはずみに小さな嘘が明らかになるとき、秘められた思いがあふれ出し、人と人との関係が姿を変える。ベストセラー『朗読者』の著者による、七つの物語。」(新潮社ホームページより)

この短編集に登場する人々の何人かは、大なり小なりの嘘をついている。

『真夜中の他人』で、飛行機の隣に座った男が語る身の上話――恋人がクウェートで攫われ、戻ってきたはいいものの、誤って死なせてしまったという、どこまで信じていいのかわからないものから、恋人に内緒で女性を連れて旅行に行く『バーデンバーデンの夜』。『最後の夏』では死期の迫った男が、愛する家族に囲まれながら毒を煽ろうと目論み。そのためだけに「休暇を一緒にすごそう」と家族を呼び寄せる。(目論見がばれたとき、誰も男を労わりもせず、妻ですら「よくもそんな真似を」といってその地を去っていってしまうのは、呆気にとられてしまうのだが・・・。)
『南への旅』のニーナは、若い頃捨てられた恋人に会いに行くが、事実はその逆だったことを思い出す。自分に嘘をついていたのだ。


翻訳者が同じだからか、「作者はジークフリート・レンツだよ」、と言われても信じちゃいそう。(ついでに『犯罪』のシーラッハとも。)日常をさりげなく描く、というところが似ているのかも。

代官山 シェ・リュイのサランボー

某デパ地下の催事場で、購入した「代官山 シェ・リュイ」のスイーツ2種です。

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左側が「サランボー」といって、飴がけしたシュークリーム。左の「ショコラ・カヌレ」は、チョコレート味のカヌレです。どちらも美味でした。
飴がけは思ったより固くて、ちょっと食べにくかったけどね。

DVD『ローマ法王の休日』感想

ローマ法王が帰天し、次の法王を選出するコンクラーヴェでメルヴィル枢機卿が選出された。
新法王を世界にお披露目しようというそのとき、あまりのプレッシャーから、メルヴィルは「私にはやはり無理だ!」といって逃げ出してしまう。

ヴァチカン側は、「あまりの責任の重大さに、新法王はお祈りに籠ってしまわれた」と取り繕うが、メルヴィルの苦悩は増すばかりでうつ状態に陥ってしまった。困ったヴァチカンの職員はセラピストを呼ぶが上手くいかず、セラピストは「外部のセラピストに素性を隠して診てもらえば」と提案する。

外に出たメルヴィルは、スキをついて逃げ出しローマの街を彷徨うが・・・。

「え、それで終わる・・・?」というある意味衝撃のラスト。よくこんな映画撮れたな~、と思いましたが、ヴァチカンから何の干渉もなかったとか。

監督のナンニ・モレッティが、ヴァチカンに呼ばれるセラピスト役で出演。
一緒に「軟禁」(外部と連絡が取れない)状態にある枢機卿たちにバレーボールのリーグ戦をさせたり、かなりハチャメチャやっています。

撮影は、さすがにヴァチカン内でできなかったので、市内の歴史的建造物が使われたそうですが、15~16世紀の建物が普通にあるローマ、素敵すぎです。
またローマに行きたくなりました。

公式ホームページ:http://romahouou.gaga.ne.jp/

円山動物園のホッキョクグマの双子の名前決定!

円山動物園で昨年12月8日に生まれた、ホッキョクグマの双子の女の子の名前が、投票の結果「ポロロ」と「マルル」に決定しました!

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(記事、写真とも円山動物園ホームページより)http://www.city.sapporo.jp/zoo/topics2-415.html

「ポロロ」は札幌の「ぽろ」、マルルは「円山」の「まる」からとったそうです。

候補は「ポロロとマルル」のほかに、

「ノンノとレラ」
「ノンノ」はアイヌ語で「花」、「レラ」は「風」

「リラとレラ」
リラは札幌の花ライラックの別名

「レタラとルイカ」
「レタラ」はアイヌ語で「白い」、「ルイカ」は「橋」

「ノンノとルイカ」

というのがありました。

私は「リラとレラ」派だったけど(←響きがかわいいじゃない?)、それはともかく。やっと名前がつきましたね~。

ホームページによると、「ポロロ」は慎重でややおとなしい、「マルル」は好奇心旺盛で積極的だそうです。
会いに行きたいな~。

それはそうと、アイラも今度の双子ちゃんも女の子。
昨年男鹿水族館で生まれたのも姫様なんですよね。

欧州はここ数年男の子の方が多いけど、お婿さんに来てくれないかな~。まあ、いろいろ協定があるみたいだから、そう簡単にはいかないんでしょうが。

DVD『桃さんのしあわせ』感想

香港のアクションスターのアンディ・ラウが、普通の、一般市民のオジサンを演じてますが、母とも思う女性に向ける慈しみの表情がいいのよ。

香港で映画プロデューサーをやっているロジャーは、自分の家に60年も仕えてくれている桃(タオ)さんと2人暮し。心臓を患ったことがあるロジャーを気遣って、温野菜や蒸した魚など、体にいい料理を作り、部屋はいつも整理整頓されている。そんな桃さんの心配りを、ロジャーは当たり前のように受け止めていた。

しかし桃さんは脳梗塞で倒れてしまう。幸い命に別状はなかったものの、マヒが残り、「メイドを辞めて老人ホームに入る」と言い出す。ロジャーは親身になって老人ホーム探しに奔走し、結局知り合いがやっている施設に入居させる。

そこは個室とは名ばかりの、パーテーションで区切っただけの部屋。悪臭のするトイレ。それでも次第に施設での生活に慣れ、心穏やかに過ごせるようになっていった。多忙なロジャーもできるだけ訪問するようにし、それが二人のかけがえのない時間になっていったが・・・。

血の繋がりはなくても、こんなふうに大事にされ、逝くことが出来たら。これが一番の「しあわせ」なのでしょうね。
将来「おひとりさま」確実な私も、こんなふうに晩年を過ごせたらいいな、と思います。もちろん劣悪な環境の老人ホームは勘弁だけど。

映画では、香港の老人ホーム事情が描かれていますが、これが一般的・・・だったら怖いな~。日本はまだマシだと思うけど・・・。

ロジャーは裕福な家庭の出身ですが、服装には無頓着で、修理工に間違われたことも。あとのシーンでタクシーの運転手に間違われたときに、「俺は修理工だ」と言っちゃってておかしかった。

公式ホームページ:http://taosan.net/

DVD『リスボン物語』感想

リスボンつながりで見てみました。

録音技師フィリップ・ヴィンターは親友の映画監督フリードリヒから届いた絵はがきを見つける。「助けてくれ、録音機材をもってリスボンに来てくれ」。
足の怪我をおして車でドイツからフランス、スペインを経てポルトガルへ。途中車が故障してしまうが、何とかリスボンに辿り着く。
しかし家にフリードリヒはいなかった。ヴィンターは家で彼の帰りを待つことにする。

どこからか美しい歌声が聞こえてきた。同じ建物の中で、ポルトガルのフォルクローレのバンド「マドレデウス」がリハーサルをしていたのだった。演奏しているのはフリードリヒに頼まれた、彼の映画のための音楽だと言う。

翌朝、ヴィンターは音を取りに街に出る。編集機に手つかずの撮影済みフィルムが残されていた。サイレント時代の手回しカメラで撮影された、今世紀初頭のような映像で、リスボンの市電や駅の構内が撮されている。
街のざわめきや教会の鐘の音、飛び立つ鳩の羽音。フリードリヒの映像に合わせる音の検討をつけながら、その中に彼の行方を探るヒントが隠されていることに気づく。

マドレデウスのメンバーはブラジルまで長いコンサート・ツアーに旅立っていった。ヴォーカルのテレーザは、フリードリヒの家の鍵をヴィンターに預ける。

そうこうしているうちに足のギブスも取れ、そしてようやく、ヴィンターはフリードリヒを発見する。ビデオ・カメラを背中に吊るして、背後に向けて撮影しているようだ。
後を追ってフリードリヒをつかまえると「映画の撮影はとっくに断念した。」と言う。
そしてヴィンターを廃墟になった映画館に案内し、自分の夢を語るのだった。

今では「映像」に、あまりにも人の意思が入り過ぎている。映像の「純粋さ」を取り戻すには、誰の意志にも左右されない映像を撮る必要がある。そのためにはファインダーさえのぞかずに撮影し、撮ってもそれを見ないことだ、と。

フリードリヒの妄想についていけないと感じたヴィンターは、彼の目を覚まそうと、ビデオカメラにメッセージをこめる。「そんなゴミ映像で人生を無駄にするな。人の心を動かす映画を撮れ。もう一度、自分の目を信じるんだ。」

手回しカメラを持ったフリードリヒと録音機を持ったヴィンターの二人で、リスボンの街で撮影を始める…。

昔のヴェンダース映画の常連、リュディガー・フォーグラーが主役で登場。フリードリヒ役の人も、『ことの次第』という映画にやはり映画監督役で出ていましたようです。

リスボンは、海辺の鄙びた田舎町といった風情のところですね。マドレデウスは、一昔前日本でも流行りましたが、きれいな歌声ですね。

DVD『ミヒャエル』感想

男が食事の支度をしている。2人分だ。地下へ降り、その一室の扉の閂を外して中に「おいで」と呼びかける。出てきたのは幼い少年――。

ミヒャエルは、ウィーンに住む保険会社に勤めるごく普通の、目立たない会社員。隣人や同僚ともそつなく付き合っている。誰も少年を監禁している小児性愛者とは思っていない。


ミヒャエルは少年に対してやさしい。TVは見せてやるし、一緒に食事の片づけをする。おもちゃを買い与え、クリスマスを一緒に祝ってやり、ときには外に連れ出し動物と触れ合わせたりする。病気のときには、仕事を休んで介抱する。子どもにちょっと厳しいお父さん、くらいの接し方で、そこだけ見れば、別に「普通」なんだけれども。 洗面やトイレなど設備が整ってはいるけれど、窓もない地下室に閉じ込め、あからさまには出てこないが、性的虐待を暗示するシーンもあり、「普通」な分だけミヒャエルの異常さが際立つというか・・・。


ミヒャエルがゴーカートレース場(?)である男の子を「うちにも車があるよ、見に来ない?」と誘い出す場面があるのですが、少年もそんなふうに連れ出したのでしょうか。

映画は、そんな二人の「日常」を淡々と描いていきます。

最初は(恐怖からか諦めからか)隷属に甘んじていた少年も、次第に反抗的になっていく。


ミヒャエルの昇進祝いのパーティの夜、上機嫌で帰ってきたミヒャエルは、少年から熱湯を浴びせかけられる。その隙に逃げようとした少年を部屋に閉じ込め、慌てて病院に行こうとしたところ、交通事故を起こし死んでしまう。

映画は、ミヒャエルの母親が遺品整理のため家を訪れ、例の部屋の扉を開けたところで終わるのですが、生きているのか死んでいるのか?なんともいえない後味を残すラストです。

普通に、ミヒャエル・ハネケ監督の作品だと思ってみたのですが、よくよく見たら、ハネケ監督のキャスティング・ディレクターだったマルクス・シュラインツアーさんという人の初監督作品だそうです。全然違和感なかったわ。


映画の中で、昔懐かし「SUNNY」という曲が使われていました。昇進してウキウキしたミヒャエルが車のBGMに合わせて鼻歌交じりに歌うのがそれですが、それがエンドロールにも流れていて、ある意味陰惨なこの映画に、絶妙なハマり方をしていましたね。

舞台がウィーンということは、あの動物園はシェーンブルン動物園なのかな?

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