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DVD『こうのとり、たちずさんで』感想

近所のレンタルDVDショップに、テオ・アンゲロプーロス監督作品が大量入荷したので、さっそく見てみました。

テレビレポーターのアレクサンドロスは、ヴェトナム難民たちがギリシャ船に救われながら政府に入国を拒否されたために冬の海に身を投げたという事件が忘れられず、クルーとともに3国と接する北ギリシャの国境地帯に取材にやって来た。

案内してくれた大佐は国境線の前に、飛び立つ寸前のこうのとりのように片足で立ちながら、呟く。「一歩踏み出せば異国か、死か、それが国境だ」。

街では国境を越えて保護を求めてきた各国の難民たちが定住許可を待って滞留していた。アレクサンドロスは、数年前に失踪したある政治家に似た人物を街の市場で発見する。彼はこの〈男〉とかつての妻を対面させ、その様子をカメラに収めようとする。

〈男〉の周辺を取材し続けるアレクサンドロスは、ある夜、ホテルのバーで身じろぎもせず自分を見つめている〈少女〉に気づき、一夜を共にする。後日、彼女を再び見かけ後を追うと、黄色いレインコートを着て電線工事の仕事から帰ってきた〈少女〉の父が取材中の〈男〉だった。

〈男〉の妻が町に到着し、その翌朝〈男〉と出会う。彼女の横顔に涙がにじむが、夫人はカメラに顔を向け「彼じゃない」と言って歩み去る。アレクサンドロスが夫人から預かった、政治家が残していた電話テープの声を〈男〉に聞かせると、〈男〉はテープの続きを静かに語り出す。

街には、アルバニアから村の半分の人々が難民として越境して来た集団があり、彼らは河を隔てて年に一度お互いの無事を確かめ合う「河の集会」を行っていた。今年は結婚式も重なっており、花嫁はあの〈少女〉であった。翌日の、河越しに行われる結婚式をアレクサンドロスは取材クルーとともに見守るが、式も終わりになろうという頃、遠くから聞こえる銃声で人々は散り散りになる。

翌日、アレクサンドロスは〈男〉が行方不明になったという知らせをきく。「僕は見たよ。国境を越えて見えなくなった」と言う少年の言葉を聞きながら、アレクサンドロスはふと顔をあげると、黄色いレインコートを着て電柱を上っていく電線工事の人々の姿があった。

本来「立ちずさむ」という日本語はありませんが、河辺で<男>が立つ姿は、「佇む」とも違うし、「立ち尽くす」とも違うし・・・。「すさむ」は「遊む」。
国境を前に片足立ちをし、一歩踏み出すか否かを逡巡する様子を一本足で立つこうのとりの姿になぞらえた・・・英題がSuspended Step Of The Stork 「こうのとりの漂う一歩」なので、この辺のニュアンスはよく出てるなと思いますね。

DVDには監督のインタビューも収録されています。
「この先いくつ国境を越えれば家に帰りつくのだろう」という印象的な台詞がありますが、これについて監督は、

「国境を越えた後、果たして自分自身や世界との均衡が取り戻せるか、「家(ホーム)」と呼ばれるところに戻ればそうなれるのか?
私が思うに、人は誰でも家に帰る途上だろう。いくつ国境を越えれば、探し求めた自分と世界との均衡を取り戻せるのか。それが映画の問いだ。」

また、黄色いレインコートを着た電線工事夫たちが、電線を繋いでいるラストシーン。監督はインタビューの中で、現実には伝達手段をつないでいるのだが、メタファーとしては、国境を越えること、世界中の国境を消滅させる可能性を提示していると言っています。

<男>は、大物政治家の地位、フランス人の美しい妻、世界的にも有名な文筆家という誰もが羨む境遇にありながら、世界との均衡を失ってしまい、失踪し、今でも自分の<ホーム>を探し求めている。
となれば、国境の河辺にいた男とアレクサンドロスの前に現れた電線工事夫たちは、「越境」「旅立ち」を表すものなのかもしれんな、と思いました。

主人公の詩的な独白から始まるプロローグ、いかにもアンゲロプーロス監督作品ぽ~い、と久々の監督の世界に浸りましたよ。
撮影中の事故で亡くなったのが本当に悔やまれる・・・・。

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