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2016年1月

カズオ・イシグロ著『忘れられた巨人』感想

『日の名残り』『わたしを離さないで』(←今ドラマでやっていますね)のカズオ・イシグロの十年ぶりの長篇!

忘れられた巨人 [ カズオ・イシグロ ]

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価格:2,052円(税込、送料込)





舞台は、アーサー王の死後、土着のブリトン人と海を渡って島の外から来たサクソン人が共存しているブリテン島。世界は霧に覆われ、人々は記憶を長くとどめることができなかった。

ブリトン人のアクセルとベアトリスの老夫婦は、遠い地で暮らす息子に会うため、長年暮らした村を後にする。昔のことが思い出せないまま。

一晩泊めてもらおうと寄ったサクソン人の村では、少年が悪鬼に攫われて大騒ぎしている最中だった。同じく村に立ち寄っていた戦士ウィスタンの活躍で少年エドウィンは救出されたが、その腹には傷ができていた。

「悪鬼に噛まれた者は、そのうち悪鬼になる」と村中が怯える中、老夫婦は村の長老から少年を連れ出してほしいと頼まれる。ウィスタンもそれに賛成だと言い、途中まで同行すると申し出る。

山の中の修道院にいるジョナス医師にベアトリスを診てもらおうと、そちらに向かう途中、アーサー王の甥である老騎士ガウェイン卿に出会う。彼の旅の目的は、雌竜クエリグを退治することだが、実はウィスタンのそれも同じだった。


老夫婦は修道院でジョナス医師に会い、記憶を奪う霧の正体がクエリグの吐く息であると教えてもらう。その夜、一行はウィスタンを追うブレヌス卿に襲撃される。ガウェイン卿に助けられ、エドウィンとともに逃げ出すが、エドウィンはウィスタンを助けに戻ってしまう。


アクセルとベアトリスは、「親を連れていかれた」という女の子から託されて、毒草を食べて育った山羊を連れて、クエリグのいる山に向かっていた。竜に山羊を食べさせて倒そうというのだ。

そこへウィストンとエドウィン、そしてガウェイン卿も現れる。巣穴にいたのは痩せ衰えた竜の姿だった。竜退治と偽って、じつは竜を守ろうとしていたガウェイン卿を倒し、ウィストンが竜にとどめを刺す。


そのときウィストンは理解する。アーサー王の命で魔術師マーリンが竜の息に記憶を奪う魔法をかけたのは、ブリトン人とサクソン人の間に横たわる憎悪と復讐の意志を忘却の彼方に追いやり、平和な世を築くためだった。そのため、ガウェイン卿は竜を守ろうとしたのだと。その竜が倒された今、2つの民族の間に戦いが始まる――。
「かつて地中に葬られ、忘れられていた巨人が動き出します。」

アクセルとベアトリスはウィストンたちと別れ、旅を続ける。霧が晴れ始めた今、アクセルは昔の記憶を―息子がもう死んでいることを思い出す。ベアトリスは「息子はこの近くの島に住んでいる」と言い出し、船頭に向こうへ渡してくれと頼み――。


『日の名残り』が英国執事が出てくる純文学、『私を離さないで』がSF路線で、今度は剣と魔法の世界。
ちょっとびっくりしましたが、イシグロ氏がインタビューの中でこの作品を書いたきっかけについて、1990年代のユーゴスラビア解体に伴って発生した戦争だと語ったという記事を読んで、腑に落ちました。

ボスニアやコソボでは、セルビア人もクロアチア人もムスリムも、異民族が混じりあって生活してしましたが、第2次世界大戦のころは、「民族独立」の名のもとに他民族を憎むように教え込まれてしました。

戦後、共存しているように見えたのは、「共産主義体制」という霧に覆われていただけだったことが、ベルリンの壁崩壊後の、バルカン紛争勃発でわかりました。
こういった問題を生々しくなく描くにはどうしたらいいか。

その答えがファンタジーだったというわけですね。

音楽堂ニューイヤー・コンサート「日本の音でお正月!」2016 感想

県立音楽堂で、音楽堂ニューイヤー・コンサート「日本の音でお正月!」を鑑賞しました。

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(画像は公式ホームページから拝借)


なかなか邦楽を聴く機会がないので、このシリーズは毎年楽しみにしています。 今年は「申年」にちなんで、「申(猿)」が出てくる演目をやりました。

狂言『猿婿』

ナレーションというか、状況説明のところは人間の言葉で喋るけれど、演者がみな猿のお面をつけて、台詞を「キャキャキャ」と「猿語」(?)で話します。

あらすじは、結婚後初めて、婿猿が手土産をもって舅猿を訪ねるというもの。なので、台詞が猿語でも大丈夫でしたが、婿も舅も嫁も従者もみな「キャキャキャキャキャ」で、なんだかもうカオス。会場は笑いの渦でした。

次に、お正月の定番「春の海」を、中国の二胡と日本の箏の合奏で。


続けて、台詞がなくても狂言として通用するものか?という感じで、台詞のところを二胡、笛、打楽器の楽器の音に置き換えるという、実験的な狂言をやりました。

老僧の目を盗んで逢引していた若い僧と娘が、老僧に見つけられて…という狂言「お茶の水」で、筋は簡単なので台詞なくてもわかりましたね。


休憩をはさんで第2部は、舞楽。

舞楽『蘇莫者(そまくしゃ)』は、聖徳太子が馬上で笛を吹いたとき、猿の似姿をした山の神が笛の音に合わせて舞った、という演目。

その時に付ける猿のお面、舌を出していますが、解説をしてくれた人によると「あ、いけな~い。人間に見つかっちゃった~、テヘペロって感じです」 なんて、チャラく説明してましたね。

また、この曲は、二拍子+三拍子という特殊な拍子をつかうのですが、それを「八多羅(やたら)拍子」というそうです。 「むやみに」、「やみくもに」、「みだりに」というような意味で使われる「やたら」は、ここから来ているとか。

解説者のリードに合わせて、会場の観客もこの拍子の練習をしましたが、やっぱり難しかったわ。



帰りにランドマークタワーの「ラ・メゾン アンソレイユターブル」で、熊本県産不知火(しらぬい)のミルクティークリームタルトと、「今月のティー」のアップル&ジンジャーティーをいただきました。

クリームの中に、柚子ピールが隠し味的に入っていて、すごくおいしかった。ティーにも柚子ジャムが付いていて、体がぽかぽかになりました。


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DVD『王の涙 イ・サンの決断』感想

オープニング、上半身裸で腕立て伏せなどで躰を鍛える王の姿。ファンサービスですね、わかります。

王の涙 -イ・サンの決断ー [ ヒョンビン ]

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宮廷内の最大派閥「老論派」の策謀により、祖父である先代王に父・思悼世子を殺され25歳という若さで祖父から王位を継承した李朝第22代国王、イ・サン。常に暗殺の危機にさらされる中、心を許せる家臣はただひとり、尚冊(書籍の管理をする官僚)として仕える宦官のカプスだけだった。

1777年7月28日。イ・サンの失脚を狙う先代王の後妃・王大妃と老論派の重臣たちは、イ・サンの暗殺を企てる。そのために腕の立つ殺し屋・ウルスが呼び寄せられた。
愛する女・ウォレを盾に暗殺の実行を迫られたウルスは、それを承諾する。


ドラマ「イ・サン」のソンヨンが、ここではイ・サンの前に立ちはだかる悪女に!
少女のようなイノセントな美しさにもかかわらず、王を窮地に追い込むダークな眼差しにクラクラします。
意識してやっているのかどうかわかりませんが、その他の配役も、ドラマ「イ・サン」の役者さんを彷彿とさせるんですよね。ホン・クギョンとか・・・。


イ・サンの生母、恵慶宮は、王大妃がイ・サンに命を脅かすような発言をしたと聞き、王大妃の侍女である、まだ幼いポクピンに毒薬を授ける。
悩んだポクピンは姉のように慕う女官のウォレに相談するが、王大妃に知られることとなる。
王大妃は、自分を毒殺しようとしたかどで恵慶宮を捕える。しかし母の命乞いすらせず、脅しに屈しない王を見て、王大妃は暗殺のゴーサインを出す。

尚冊の足の裾に血がついているのに王が見咎め、それを不審に思った近衛隊長のホン・クギョンが拷問にかけると、尚冊は恐るべき告白をした。
自分がアン尚善と組んだクァン老人のもとで殺し屋として育てられ、刺客として王宮に送り込まれたこと。そのようにして育てられた子供たちがたくさんいることを。
幼いころから常に自分の傍にいたカプスが刺客だったことに衝撃を受けるが、彼を赦し、カプスを追放する。

「昔、庭で鯉を釣ったことがあったな。あの時は刺客だったのか」
「いつからだ、刺客でなくなったのは」
そう言い募るイ・サンが哀れで・・・。

ウォレも実はクァン老人が放った刺客の一人だったが、ポクピンを救いたいがために、暗殺計画を王に漏らす。

深夜、寝殿の屋根に潜んだ刺客たちを、ホン・クギョンの近衛隊が鉄砲を持って待ち受ける。激しい応戦の最中、王のもとまで迫ったウルス。
振り下ろす刃の下に飛び込んできたのは、クァン老人のもとで兄弟のように育ったカプスだった・・・。



王室の寝殿の屋根まで刺客が侵入した、朝鮮王朝500年の歴史上、空前絶後の暗殺未遂事件「丁酉逆変(ちょんゆぎゃくへん)」を題材にした映画です。

鉄壁の守りであるはずの王宮殿の、王の寝所のすぐそばにまで刺客が来ることができるなんて、イ・サンの王権がどれほど不安定であったかがわかります。
イ・サンの父、思悼世子も宮廷の派閥争いのために謀殺されたようなものだし、その父を殺した祖父・英祖も兄である景宗と王位を争いました。


こうした政争を経糸に、イ・サン―カプス―ウルスの関係を緯糸にしたこの映画、思った以上に見応えがありました。

ヒョンビン、現代劇のときはなんとも思わないけど、こうして時代衣装を身に付けると、ほんと美しいじゃないの~(←オバさん丸出し)。眼福。

『始皇帝と大兵馬俑』展 感想

東京国立博物館で開催中の『始皇帝と大兵馬俑』展に行ってきました。
古代中国の皇帝の陵墓から莫大な量の副葬品が出土。しかも等身大の人間をかたどったもの。
それが一つ一つ顔も違う。夢とロマンじゃありませんか。
中国に行くことはかなわなくても、上野で見ることができるなんて、行かないでどうするってところですよ。



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日曜の午後、会場はほどよく混んでいました。

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会場は2部構成になっていて、第1展示場は、秦が辺境の一小国から、中国を統一し、巨大帝国へなった経緯をたどります。

そして、陵園や兵馬俑坑から発掘した出土品を通して、始皇帝が陵園を「死んでからの住まい」として整備したことをつまびらかにします。

第2展示会場では、兵馬俑坑の一部を再現!

会場に入ってて前側に、ポスターにもなった5体の俑が配置され、360度から見ることができます。

会場の奥の壁に沿って、俑が立ち並び、「これが兵馬俑なのか~!」とその大きさを実感できます。

いや、圧巻ですよ。


片隅に記念写真を撮れるコーナーがあって、一緒に写真が撮れます。

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あと、別室の銅車馬の複製が素晴らしかった!

2種類の4頭立て馬車をかたどった青銅製の精巧な模型で、1/2スケールとのことですが、
出来た当時はどれだけ美しかったのだろうと思わせるような感じで。

死後も永遠の世界で皇帝として君臨することを指向した、始皇帝の想いが伝わってくるようです。


公式ホームページ:http://heibayou.jp/


余談ですが、会場の紹介ビデオに出てきた文官の俑が、目元涼しいハンサムさんでした。

ミハエル・ネグリン(さくらシュガーのお花リングとネックレス)

夏に、グリーンのらせんリングを引き取りに行ったときに、

淡いピンクの、まるで砂糖細工のような色―――さくらシュガーのアイテムがあって、

「こういう色もかわいいな~」と思い、リングをオーダーしました。


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淡く優しい色味が、ゴツい指もなんだか華奢に見せてくれます。

これはいい!



リングに合わせて、さくらシュガーのお花を使ったネックレスを購入。


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主張しすぎないボリュームなんだけど、キラキラかわいく、

セーターの上からでもいいし、暖かくなったら素肌の上においても

なじんでいい感じになると思いますね。


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37,38個目のネグリンです。



丸ビルの地下のフードコートのある、 nana's green tea で、

スイートポテトのパフェをいただきました。


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ソフトクリームにかかっているのは黒蜜で、アイスもサツマイモのアイス、

スイートポテトはほんのり温かい、という工夫を凝らしたパフェでした。


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DVD『リアリティのダンス』感想

2016年のスタートです。
今年最初の記事は、未完の大作映画『DUNE』の監督として有名なアレハンドロ・ホドロフスキーの自伝的映画。

自伝と言っても、リアリティと妄想が生々しく交差するような、そんな作品でした。


1920年代、アレハンドロは、ウクライナから移民してきた両親と軍事政権下のチリ、トコピージャで暮らしていた。

権威的で暴力的な共産主義者の父ハイメと、アレハンドロを自身の父の生まれ変わりと信じ、金髪のかつらをかぶらせる母サラ。

ロシア系ユダヤ人であるアレハンドロは肌が白く鼻が高かったため、学校でも「ピノキオ」といじめられ、世界と自分のはざまで苦しんでいた…。


ハイメは独裁者イバニェスの暗殺を企て、サンティアゴに向かう。仲間のアナキストと組んで犬の仮装コンテストに出場し、そこに出席するイバニェスを暗殺しようとするが、とっさにイバニェスをかばう。それが縁で、愛馬の飼育係となる。

イバニェスの馬好きを利用し彼に近づき、油断したところを殺すつもりだったが、彼の中に崇拝するスターリンと同じような資質を見出して、苦悩する。

暗殺に失敗し、その時のショックで手先が麻痺して強張ってしまう。
その後、記憶喪失になったりしながら各地を放浪する。
そんなある日、椅子職人ホセと出会い、彼の世話になるが、新しくできた教会に椅子を納品する仕事を終えた後、ホセは亡くなってしまう。
ハイメはホセが、帰りの旅費としてくれた金を、これで墓を作ってくれと牧師に渡す。
その後も放浪を続けていくうちに秘密警察に捕まり拷問を受ける。そしてイバニェスが亡命し、独裁政権は崩壊。ハイメは解放され、家に戻る。
一家がトコピージャを離れるところで、物語は終わる。


『DUNE』がどんな映画だか知らないんですが、このノリの映画なら、相当「怪作」になったでしょうね。
サーカス、フリークス、こびと、海辺の風景・・・。
それから、色彩の使い方が、とても鮮やか。アレハンドロの青い服と赤い靴、極彩色のサーカスとか。
『ブリキの太鼓』を思い出しましたね。あと鈴木清順とか。
こうした奇っ怪なデコレーションを取っ払えば、内容としては、大人の世界への過渡期にある少年の心情を描いた繊細な作品と言えましょう。

不安に揺れる少年に、ときに祖父のように、ときに死神のように、成長後の監督本人が寄り添います。
というか、父ハイメの成長物語、教養小説(ビルドゥングスロマーン)的な趣きもありますね。

そして、最後のクレジットを見て気がついたんですが。
ハイメを演じるのはブロンティス・ホドロフスキー、

アレハンドロを瞑想に導く行者役はクリストバル・ホドロフスキー、

アナキスト役はアダン・ホドロフスキー。
いずれも監督の息子だそうで、「なんだ、この家内制手工業的な」と笑っちゃったけど、ファミリーヒストリーを語るには、最適な配役だったのかもしれませんね。

母サラがほとんど全編オペラ調で台詞を言いますが、オペラ歌手志望だった監督の母を投影しているそうです。

公式ホームページ:http://www.uplink.co.jp/dance/

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