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ベルンハルト・シュリンク著『階段を下りる女』感想


語り手の「ぼく」はドイツ在住の弁護士。仕事のために訪れたシドニーのアートギャラリーで階段を下りる女の絵を発見する。

それは40年前、グントラッハという富豪の男が若い妻イレーネをモデルに描かせた絵で、後にイレーネは画家シュヴィントのもとに走る。
腹いせにグントラッハはその絵を傷つけてはシュヴィントに修復させる。そんなことの繰り返しに音を上げたシュヴントは、絵と引き換えにイレーネを返す契約に同意する。
イレーネに恋をした「ぼく」はそのことを彼女に教え、逃げる手伝いをする。一緒に逃げるつもりだったが、彼女は一人で消えてしまった――。


「ぼく」はドイツに帰らず、イレーネを探す。彼女がオーストラリアのある島で不法滞在していることが判明し、すぐその場所へ飛ぶが、彼女は「ぼく」が来たことは意外だったようで、「ぼく」のことはほとんど覚えていなかった。
イレーネはがんで余命いくばくもないことから、死ぬ前にグントラッハやシュヴィントに会うためにあの絵を展示した、と語った。
ほどなくして2人はやってきたが、彼らの興味はもはやイレーネにはなく、あの絵の所有権についてであり、すぐに2人は去っていった。
残されたイレーネは、「もし二人で逃げていたら、どんな人生だったか」という想像の話を「ぼく」にせがんだ。

そんなある日、近所で山火事が起こる。イレーネを乗せて「ぼく」は船で沖に出る。しかし目を離したすきにイレーネはまた消えてしまっていた――。


イレーネがグントラッハやシュヴィントのもとから逃げ出した理由は、「戦利品としての妻」や、「画家にとってのミューズ」という与えられた役割を生きるのではなく、自分自身の生を生きたかっただけ。
死を前に彼らに会おうと思ったのも、それを確認したかったから。
自分にも消えた理由を聞く権利があるとやってきた「ぼく」は、彼女にとってピエロでしかなかったかもしれない。
そんな二人が「もしも二人で逃げていたら」なんて話をするなんて、不毛以外の何物でもない。しかしそれが、少なくとも「ぼく」にとって「救い」になった。
イレーヌの死で、今度こそ彼女を永遠に失った「ぼく」は、今までの人生と決別することを決意する。まるでその作り話こそが、本当の彼の人生だというように。

美しいけれど、内容が薄いなぁ、と思いました。
自分勝手に生きてきた女が、未練たらたらの男を利用しただけ、と言ってしまえば身もふたもないけど、男と女って、そんなもんかもしれないし。



ところで、
作者シュリンクは、ゲルハルト・リヒターの「エマ、階段を下りるヌード」にインスピレーションを受けてこの作品を書いたそうだ。

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ついでにシュヴィントは、「マルセル・デュシャンの『階段を下りる裸体』に対する反論として、この絵を描いた」と書かれている。

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階段を降りる裸体 No.2 / Nude Descending A Staircase, No. 2


「階段をおりる」ことは、夢占いだと、過去に戻りたいとか心身の不調を表していることが多いらしいのですが、

この作品も、「あのときああしていれば」という想いが、主題なんでしょうね。

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