十一代目豊竹若太夫襲名披露公演『和田合戦女舞鶴』感想
4月の大阪公演に続いて、5月東京公演にも行ってきました。
今回2部制で、それぞれ4時間近くかかるので、分けて行くことにしました。
(Aプロ)
寿柱立万歳
豊竹呂太夫改め豊竹若太夫襲名披露口上
襲名披露狂言:和田合戦女舞鶴
近頃河原の達引
さてこの度、豊竹呂太夫さんが十一代目豊竹若太夫を襲名なさいました。初代の豊竹若太夫は、義太夫節をつくった竹本義太夫の弟子で、のちに独立して「豊竹座」を旗揚げしたという大名跡。そしてこの「若太夫」という名跡は実に57年ぶりの復活であり、十代目はなんと新若太夫の実のおじいさまだったそうです。
(写真は配信からスクショしました)
襲名披露口上では、舞台には新若太夫を囲んで、三業(人形遣い・義太夫・三味線)の代表者と新若太夫さんのお弟子さん方が、揃いの裃――目にも鮮やかな若竹色――でずらりと並びます。3名の方が新若太夫の微笑ましい(?)エピソード(おじいさまの10代目若太夫が無類の競馬好きで、「競馬場のゲートは俺らが貢いだ」と豪語していた、とか、新若太夫さんが昔ブラジルに公演で行ったとき、リオデジャネイロのビーチで水着の美女を見て喜んでいた、とか・・・)を披露しますが、新若太夫さん本人は、所信表明などもせず座ったままでしたね。でもこれが昔からのしきたりだそうです。
そしていよいよ襲名公演。この「市若初陣の段」は実に十代目の襲名披露のときの演目だそうで、新若太夫の「初陣」にふさわしいですね。
【「市若初陣の段」あらすじ】
時は鎌倉時代、3代将軍実朝のころ。荏柄平太という者が実朝の妹姫に横恋慕した挙句、姫を斬って逃走中。その荏柄とはいとこの間柄ということで、女武者・板額は夫の浅利与一から離縁され、尼君・北条政子のもとに身を寄せていた。そしてなぜか政子は、荏柄の妻子をかくまっていた。
荏柄の一子・公暁丸(きんさとまる)を引き渡すよう命じるが、それは母親である政子に背くことでもあった。悩んだ実朝は、大事にしないため、武者姿の子どもの一団を差し向ける。夜回りとして門の近くにいた板額は、自分の息子の市若丸と同じ年頃の少年たちに我が子のことを尋ねると、「戦を怖がって来なかった、臆病者だ」との返事。「夜討ちは卑怯なこと。明日の朝に出直して」と子供たちを帰す。
この伏し目がちな眼が美しい。
上記の部分は、5月公演ではやりませんでしたね。
一足遅れて市若丸がやってくる。離縁して追い出されて以来会っていなかった我が子との久方ぶりの再会を喜ぶ板額。凛々しい鎧姿の息子だが、兜の忍びの緒が解けていることに気づき尋ねると「母上に結んでもらえ」と父親の与一に言われたとのこと。板額は結んでやろうとするが、はずみで緒が切れてしまう。討ち死に覚悟の出陣ではあらかじめ緒は切っておくことから、「不吉な・・・」と思いつつも、板額は息子を城内に引き入れる。
我が子の手柄欲しさに、尼君・政子に公暁丸を討つことを迫るが、公暁が実は2代目将軍頼家の遺児・善哉丸であること、荏柄平太夫婦の子として育てさせていたことを打ち明けられる。そこで板額は、夫・与一は市若丸を公暁の身代わりにせよとよこしたことを悟る。
市若丸に「もし自分が公暁丸の立場であったらどうする」と尋ねると、すかさず「切腹する」と答える。板額は涙を押し殺し、一間でしばし隠れて待つように言う。
板額は灯りを消し、暗がりの中、板額は荏柄が来たかのようにふるまい、「たしかに市若丸はお前の子だが、今はもう我ら夫婦の子、取り返そうとしたってお前には返さない」と一芝居打つ。それを聞いた市若丸は、自分が本当は荏柄平太の子であると絶望し、自らわき腹を刺す。
市若丸が自害したことを知った板額は我が子に駆け寄り、公暁丸が実は先代将軍の若君であり、主の身代わりとなって死ぬのは手柄、と称える。そして市若丸が荏柄の子だと言ったのは、切腹させるための嘘で、本当に与一と板額との子であると告げると、安堵の中で息絶える。
板額は涙ながらに市若丸の首を打ち落とし、それを公暁丸の首の受取人としてやってきた父親の与一に、公暁の首として我が子の首を差し出すのだった。
我が子を主君の子どもの身代わりとして差し出す、って「菅原伝授手習鑑」とかもそうだよな、と思ったら、並木宗輔という同じ作者で、本作の方が先に書かれたものでした。言われてみれば、こちらの方がこなれてないというか、特に板額が一芝居を打つところが多少不自然さを感じましたね。でも、死にゆく我が子に、「何が荏柄の子だ、ほんにお前は与一殿と私の子」と悲痛な叫びをあげる場面は、思わず拍手してしまうほどのドラマチックさで、にわかの私でも感動しましたね。
登場人物が女武者、子どもの武者がいる珍しい作品。再演が楽しみです。
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