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人形浄瑠璃文楽 神奈川公演に行ってきました。

10月に何か文楽公演どこかでやっていないかな・・・で検索したら、ヒットしたので行ってきました。

坂の上にある神奈川県立青少年センター。12月公演の会場でもありますね。

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会場前に、お人形さんと一緒に記念撮影。

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昼の部(13時開演)
「解説」(あらすじを中心に)

『二人三番叟(ににんさんばそう)』
『絵本太功記(えほんたいこうき)』
  夕顔棚の段
  尼ヶ崎の段

『絵本太功記』は、明智光秀の謀反をモチーフにした十三段からなる作品です。

主君・尾田春長(おだはるなが)を討った息子・武智光秀を許せずに決別した、光秀の母・さつきが住む摂津・尼ヶ崎の片田舎、夕顔棚のある閑居が舞台。そこに、光秀の妻・操(みさお)と、孫・十次郎の婚約者・初菊(はつぎく)が訪れる。操が孫息子・十次郎の初陣(ういじん)の願いを取り次ぐと、さすがのさつきも涙を流す。そして十次郎に初菊との祝言を挙げさせたあと、戦に送り出す。

その時、旅の僧が一夜の宿を願い出る。さつきは風呂を沸かして、僧に勧める。藪かげに隠れていた光秀は、今、風呂に入っている旅の僧こそ真柴久吉(ましばひさよし)に違いないと、竹槍を湯殿めがけて突き通す。しかし、うめき声をあげたのは母・さつき。さつきは苦痛をこらえながら、主君を討った天罰が、回りまわって母に当たったのだと、光秀を厳しく諫めるが、光秀の、悪逆無道の主君を討つのは天下のため、という信念は揺るがない。

そこに深手を負った十次郎が戻り、味方の敗走を報告する。にわかに辺りが騒がしくなり、光秀が松の木に登り見渡すと、すでに久吉軍が大挙して押し寄せていた。奥から久吉が立派な大将の装束で姿を現し、光秀と久吉は、京(みやこ)の郊外、山崎の天王山で雌雄を決する約束を交わす。

尼ヶ崎の段の切(劇中で一番重要な、盛り上がる場面)は豊竹若太夫&鶴澤清介さん。清介さんの三味線、激しくてもはやロックでした。

 

夜の部が始まるまでに、ランドマークタワーの方に行って腹ごしらえ。夜の部の開演前にも記念撮影をやってました。もちろん撮りました。

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夜の部(17時開演)
「解説」(あらすじを中心に)

「達引」とは、辞書によると義理や意気地を立て通すこと。また、そのために起こる争いを指すとのこと。つまり「近頃河原達引」とは、近頃起こった河原の喧嘩、という意味です。」との解説がありました。


『近頃河原の達引(ちかごろかわらのたてひき)』
  四条河原の段
  堀川猿回しの段

井筒屋伝兵衛は祗園の遊女お俊と探い恋仲であったが、お俊に横恋慕する横淵官左衛門に諮られて、ついに争ってこれを斬ってしまいお尋ね者に。(四条河原の段)

お俊は堀川の実家に預けられ、猿廻しの兄与次郎は妹可愛さのあまり、忍んで来た伝兵衛を逢わせまいとするが、心中を覚悟した二人の心を察し、盲の母親の手前をつくろい、猿廻しの曲をはなむけに二人を送り出す。(尼ヶ崎の段)
男女の心中ものの話ではありますが、最後の猿廻しの猿が全部持っていく、という演目です。猿の動きに目が釘付けになります。

次は11月に大阪で公演があります。『仮名手本忠臣蔵』を第一部、第二部と通しでやるから、観劇は一日がかりですね。

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