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カズオ・イシグロ著『忘れられた巨人』感想

『日の名残り』『わたしを離さないで』(←今ドラマでやっていますね)のカズオ・イシグロの十年ぶりの長篇!

忘れられた巨人 [ カズオ・イシグロ ]

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舞台は、アーサー王の死後、土着のブリトン人と海を渡って島の外から来たサクソン人が共存しているブリテン島。世界は霧に覆われ、人々は記憶を長くとどめることができなかった。

ブリトン人のアクセルとベアトリスの老夫婦は、遠い地で暮らす息子に会うため、長年暮らした村を後にする。昔のことが思い出せないまま。

一晩泊めてもらおうと寄ったサクソン人の村では、少年が悪鬼に攫われて大騒ぎしている最中だった。同じく村に立ち寄っていた戦士ウィスタンの活躍で少年エドウィンは救出されたが、その腹には傷ができていた。

「悪鬼に噛まれた者は、そのうち悪鬼になる」と村中が怯える中、老夫婦は村の長老から少年を連れ出してほしいと頼まれる。ウィスタンもそれに賛成だと言い、途中まで同行すると申し出る。

山の中の修道院にいるジョナス医師にベアトリスを診てもらおうと、そちらに向かう途中、アーサー王の甥である老騎士ガウェイン卿に出会う。彼の旅の目的は、雌竜クエリグを退治することだが、実はウィスタンのそれも同じだった。


老夫婦は修道院でジョナス医師に会い、記憶を奪う霧の正体がクエリグの吐く息であると教えてもらう。その夜、一行はウィスタンを追うブレヌス卿に襲撃される。ガウェイン卿に助けられ、エドウィンとともに逃げ出すが、エドウィンはウィスタンを助けに戻ってしまう。


アクセルとベアトリスは、「親を連れていかれた」という女の子から託されて、毒草を食べて育った山羊を連れて、クエリグのいる山に向かっていた。竜に山羊を食べさせて倒そうというのだ。

そこへウィストンとエドウィン、そしてガウェイン卿も現れる。巣穴にいたのは痩せ衰えた竜の姿だった。竜退治と偽って、じつは竜を守ろうとしていたガウェイン卿を倒し、ウィストンが竜にとどめを刺す。


そのときウィストンは理解する。アーサー王の命で魔術師マーリンが竜の息に記憶を奪う魔法をかけたのは、ブリトン人とサクソン人の間に横たわる憎悪と復讐の意志を忘却の彼方に追いやり、平和な世を築くためだった。そのため、ガウェイン卿は竜を守ろうとしたのだと。その竜が倒された今、2つの民族の間に戦いが始まる――。
「かつて地中に葬られ、忘れられていた巨人が動き出します。」

アクセルとベアトリスはウィストンたちと別れ、旅を続ける。霧が晴れ始めた今、アクセルは昔の記憶を―息子がもう死んでいることを思い出す。ベアトリスは「息子はこの近くの島に住んでいる」と言い出し、船頭に向こうへ渡してくれと頼み――。


『日の名残り』が英国執事が出てくる純文学、『私を離さないで』がSF路線で、今度は剣と魔法の世界。
ちょっとびっくりしましたが、イシグロ氏がインタビューの中でこの作品を書いたきっかけについて、1990年代のユーゴスラビア解体に伴って発生した戦争だと語ったという記事を読んで、腑に落ちました。

ボスニアやコソボでは、セルビア人もクロアチア人もムスリムも、異民族が混じりあって生活してしましたが、第2次世界大戦のころは、「民族独立」の名のもとに他民族を憎むように教え込まれてしました。

戦後、共存しているように見えたのは、「共産主義体制」という霧に覆われていただけだったことが、ベルリンの壁崩壊後の、バルカン紛争勃発でわかりました。
こういった問題を生々しくなく描くにはどうしたらいいか。

その答えがファンタジーだったというわけですね。

フランツ=オリヴィエ・ジズベール著『105歳の料理人ローズの愛と笑いと復讐』

いみじくも作中人物が言ったように、「みんな100歳老人の話なら何でも好きだもの」。最近元気な高齢者が主人公という物語が流行っていますね。
やっぱりこの激動の20世紀の出来事に絡ませることができるし、100歳まで元気に生きている人は、最近珍しくないから・・・。


自伝を書き始めたローズは1通の訃報を受け取る。その人、レナーテ・フルルなる女性に、ローズは心当たりがあった・・・。近所の少年に頼んで、その女性のことを調べてもらう。

1915年、黒海沿岸で生まれたローズは、8歳のときアルメニア人大虐殺で家族を皆殺しにされ、トルコのベイ(長官)に献上される。美しく成長したローズは、大商人に売られ、船でマルセイユへ。
マルセイユに到着後、船から逃げ出し、農民のランプール夫妻に保護される。
しかし幸福も長くは続かなかった。13歳のとき、夫妻が相次いで死に、ローズの後見人として農場に乗り込んできた甥の夫婦に奴隷のようにこき使われた。

羊の去勢の仕事で農場を訪れたガブリエルと運命的に出会い、駆け落ちしてパリへ。
祖母やランプール夫人に教わった料理をもとにレストランを開き、二人の子供にも恵まれた。
しかし自分を不幸のどん底に落とした人物たちへの復讐の想いやまず、旅行と称して出かけては、人知れず始末してきた。

1930年代、フランスでも反ユダヤの機運が高まっていた。ガブリエルは、論敵ラヴィスに、自分でも知らなかったユダヤ人だという出自を暴き立てられた。
また、ローズの浮気がばれたことにより、ガブリエルは子どもたちを連れてローズのもとを去った。

1940年、パリはナチス・ドイツの占領下にあった。そしてどういうわけだか、ナチス高官のハインリヒ・ヒムラーがローズの店を訪れた。
ローズの金髪碧眼の美貌と料理の腕、そして彼女のつくる活力の出る錠剤に惚れ込んだヒムラーは、自分のもとに来るように誘う。

1942年7月、パリではユダヤ人が一斉検挙され、ガブリエルと子供たちも冬季競輪場に連行された。彼らを助け出そうと、ヒムラーと連絡を取り、ローズはベルリンへ降り立った。
調査の間、ローズは「料理人」としてヒムラーのもとで暮らすことになったが、ヒムラーは手を出してくることはなかった。

そのうち軍の仕事を任されるようになり、ヒトラーのディナーを作りにベルヒテスガルテンに呼び出されることになった。
ローズの料理を総統は気に入ったが、その夜、酔わされたローズは何者かに乱暴された。
数か月後、ローズは自分が妊娠していることに気づく。ヒムラーの計らいで、生まれた女の子は「レーベンスボルン」に預けられた。そしてローズはパリに戻された。
調査の結果、やはりレナーテ・フルルは、このとき生まれた娘だったことがわかる。

夫と子供の死を知り、ラヴィスに復讐したローズは、アメリカに高跳びする。アメリカ人のフランキーと結婚したが、数年後、2度目の夫は心臓発作で死亡した。

1955年、パリ時代に知り合ったサルトルとボーヴォワールに
誘われ、中国へ。そこで12歳年下の柳と出会い、結婚する。しかし毛沢東と鄧小平の権力争いの最中、1968年に殺された。
再びマルセイユに戻ったローズは、マリ人の女の子カディと同棲する。そしてカディが生んだ娘と暮らして、現代にいたる。

今日はローズの誕生日。お祝いをしに、みんなが集まってくる・・・。

過激なオバアちゃんだな~。
105歳になった今でも厨房に立ち、出会い系サイトで相手を物色したり、拳銃でチンピラを脅したりしてるし。

「窓から逃げた100歳老人」でもそうでしたが、この手の話の主人公って、中国に行って世界一周して帰ってきますね。
特にフランスでは、1950年代にサルトルをはじめとする知識人がこぞって共産主義に走ったことから、この20世紀を語るうえではずせないトレンドなのでしょう。

原題は『 La cuisiniere d'Himmler (ヒムラーの料理女)』。日本版では、「愛と笑いと復讐の力を信じてる」というプロローグの中の言葉をクローズアップしていますね。(題名で全部説明しようって感じで、あまりセンスを感じないけど。)

ついでにドイツ版はというと、『Ein Diktator zum Dessert(独裁者にデザートを)』


切り口によって、同じ物語なのに印象が違うのが面白いですね。
ちなみにローズがヒトラーのためにつくったデザートは、リンゴのタルトでした。

ハラルト・ギルバース著『ゲルマニア』

今まで、ナチス・ドイツ時代のことを取り上げた作品は、おおむねドイツの戦争責任や、ホロコーストを扱っていましたが、ここ最近、違う角度から取り上げている作品が増えている印象を受けます。それも、エンターテインメントとして。


「1944年ベルリン。ユダヤ人の元敏腕刑事オッペンハイマーは突然ナチス親衛隊に連行され、女性の猟奇殺人事件の捜査を命じられる。断れば即ち死、だがもし事件を解決したとしても命の保証はない。これは賭けだ。彼は決意を胸に、捜査へ乗り出した…。連日の空襲、ナチの恐怖政治。すべてが異常なこの街で、オッペンハイマーは生き延びる道を見つけられるのか?ドイツ推理作家協会賞新人賞受賞作。」
(Amazon.jpより)

…この話、ナチス・ドイツ時代でやる必要があったか?というのが正直な感想。
レーベンスボルン「生命の泉」やサロン・キティ・・・この時代きってのスキャンダラスなネタではあるが、本筋とはあまり関係なし。取って付けた感がありましたね。

連日の空襲、ノルマンディーに連合軍が上陸する、という戦況にあって、ナチス高官の命令とはいえ、猟奇殺人事件を捜査させる、というのがなんとも不合理というか。ゲッペルス自ら「この事件を解決せよ。」とユダヤ人に命を下す、というのがなんとも・・・。

そこまでして捜査させる事件が、どれほどのナチスの秘密や陰謀に絡んでいるのかと思いきや、その辺の説明は一切なし。

読者にしてみれば、消化不良というか、設定を活かしきれていない、という印象でしたね。

ただ、ユダヤ人警部とSS将校の関係というか「バディ」要素が、一部の婦女子の間で注目されているようですよ(笑)。

『しろくまミルク』

あのミルク姫の本、ふたたび!
生まれ育った男鹿水族館GAOから、釧路市動物園に旅立ったホッキョクグマの女の子「ミルク」。
釧路市動物園はブログとかGAOほど熱心にはやっていないようなので、あまりその後の様子を知ることはありませんでしたが、なんだ、元気にやっているじゃないの~。


まるで中に人が入っているかのような美しい立ち姿や、ポリタンクや筒を使って多彩に遊ぶミルク。それがテレビやネットで話題となり、今回の書籍化につながったようです。

いつも真っ白で「黒クマ」になっている写真がないわ~と思ったら、釧路にはチップがないみたいですね。
写真にそれぞれ、ミルクの独り言のような吹き出しがついています。まあこれはなくてもよかったかな。

久しぶりに釧路市動物園のHPを見にいったら、「ミルクが三角コーンを食いちぎってケガするところだったので、この先使用を中止します」とのニュースが。

姫・・・元気なのにもほどがあります。


ところで、この釧路市動物園にはメスの「ツヨシ」もいます。2003年生まれということなので、今12歳。早くお婿さんを見つけて、子どもを産んで、ってしなきゃならないのに・・・。

一方、ヨーロッパでは男余りの状態。
これってどうにかならないんでしょうかね~。

永野護『ファイブスター物語』第13巻感想

ファイブスターストーリーズ FSSが連載再開して、 「MH」→「GTM」に、「ファティマ」が「オートマティックフラワーズ」に・・・など、設定とか名称が大幅に変わったとか、ロボットのデザインが物凄くかっこ悪くなったとか、いろいろネットの感想を見かけ、どんなものかと単行本が出るのを楽しみにしていましたが、


基本的には休載前の続きだし、キャラクターも人格変わったわけでなし、普通に物語の世界に入り込めましたね。


リブートのあとがきとかで、作者がデザインについて挑発的なことを書いていた「アシリア・セパレート」も、複数のGTMを、遠隔操作で動かせる端末(光学インジェクター)のついたファティマスーツになったんだな~、より実戦的なスタイルになったんだな~、と思ったくらいで。

なぜバルーンパンツなのか、そこは問い詰めたい気もしますが。普通にショートパンツでいいじゃん。

ロリータ通り越して、幼児くさい。



新設定の名称には、ドイツ語由来のものが多いですね。 ディー・カイゼリン(女帝)とか、カンプフグルッペ(戦闘集団)とか。


≪あらすじ≫

ファティマ・エストのメンテナンスに伴い、ミース・バランシェのもとに各地のファティマ・ガーラント(旧設定では「ファティマ・マイト」)が集まる。

とはいえ、皆の目的は、カイエンの死によって「壊れて」しまったファティマ・アウクソーをどうやって直すかということ。そこに予期せぬ人物が訪ねてくる。


バッハトマの侵攻で分断されたハスハの地。 フィルモア皇帝ダイ・グが「詩女」(旧:アトールの巫女)のフンフトに会いに、聖宮ラーンを訪れる。目的は詩女を妃とするため。 フィルモア帝国のあるカラミティ星が遠からず滅することを受けて、帝国の民をハスハの地に移住させる。そのためにフィルモア初代皇帝と詩女ラーンの伝説を利用し、ハスハへの移民を抵抗なく受け入れてもらおう、というものだった。
密かに慕うダイ・グの結婚話に動揺するクリスティンに、フンフトは「皇帝と同じ苦しみを背負い、同じ道を歩んで」と励ます。


コールドスリープ状態に陥ったマグダルを連れて、ヘアードは聖宮ラーンを目指したが、保身に走った神官たちから門前払いを受ける。しかしフンフトから、マグダルをを守るために身を隠すように指示を受け、ミラージュ騎士のランドアンド・スパコーンとともに逃避行を続ける。 ところが戦闘に巻き込まれ、マグダルは行方不明に・・・・。



その頃、難民が押し寄せるベラ国の空港に「レディオス・ソープとその妻ファナ」なる、世にも場違いなカップルが現れる。ソープは、その場を指揮していたAP騎士団ツラック隊の支隊長ナルミに、自分はGTMスライダー(旧:マイスター)であると明かし、GTMの修理を申し出る。


新キャラもバンバン出て、物語が動き出した第13巻。

ジークボゥの父親は誰?とか伏線はりまくりで続きが楽しみですが、第14巻が出るのは、何年先なんでしょうね・・・。

フェルディナント・フォン・シーラッハ著『禁忌』感想

「ドイツ名家の御曹司ゼバスティアンは、文字のひとつひとつに色を感じる共感覚の持ち主だった。ベルリンにアトリエを構え写真家として大成功をおさめるが、ある日、若い女性を誘拐したとして緊急逮捕されてしまう。捜査官に強要され殺害を自供し、殺人容疑で起訴されたゼバスティアンを弁護するため、敏腕弁護士ビーグラーが法廷に立つ。はたして、彼は有罪か無罪か――。刑事事件専門の弁護士として活躍する著者が暴きだした、芸術と人間の本質、そして法律の陥穽。2012年本屋大賞翻訳小説部門第一位『犯罪』の著者が「罪とは何か」を問いかけた新たなる傑作。著者による日本版オリジナルエッセイ「日本の読者のみなさんへ」を収録。」(東京創元社の紹介ページより引用)
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488010409

「シーラッハの今度の小説は、2度読んでもわからなかった」Den neuen Roman Ferdinand von Schirachs habe ich nicht verstanden, selbst nach zweimaliger Lektüre nicht.とドイツの有力紙ZEITの書評でも書かれてましたが、私もわからなかった。

本作は4章で成り立っていて、ゼバスティアンの半生を語る「緑」、ここで子供のころ父親が自殺したことが語られる。
殺人の容疑で取り調べを受ける「赤」、
法廷で全てが明らかにされる「青」、
後日談の「白」。

心身のバランスを崩し療養中だったビーグラー弁護士は、ゼバスティアンに指名されて弁護を引き受ける。「殺人犯ではない前提で弁護して欲しい」「!?」。

結局、「自供は拷問を受けてなされたもの」という線で攻めていこうとする。

事件について調べてみると、被害者とされる若い女性は自殺した父の隠し子、ゼバスティアンの妹だということがDNA鑑定で判明する。しかし、彼女は生きていた。


ではあの被害者とされている女性の写真は、いったい誰を写したものなのか。

ヒントは、作中のエピソードだ。
19世紀にゴルトンという人が、「悪人には口とか鼻とかに何か異常な特徴があるはずだ」と考え、ロンドンの刑務所で、囚人の顔を1枚の原板に多重露出撮影したところ、別にそんなものはなかった。それどころか美しいとさえ言えた。

それと、表紙の女性の写真。よくよく見れば違和感を感じるはずだ。

しかし、ゼバスティアンは何をしたかったのか。
下手すれば、売名行為と言われても仕方ないことなんですが。


あと、ゼバスティアンが「共感覚」の持ち主、という設定がほとんど生かされていないような気がするのだが、読み方が悪いのだろうか・・・。

ところで、いったい何が「禁忌」なのか。シーラッハが日本の読者に向けたあとがきを読む限り、悪の本質について追及することが本作のテーマのようですが・・・・。

http://www.zeit.de/2013/37/roman-ferdinand-von-schirach-tabu

ヨナス・ヨナソン著『窓から逃げた100歳老人』感想

100歳の誕生日パーティーを目前に、着の身着のまま老人ホームの窓から逃げ出したアラン。お酒(とくにウオッカ!)が大好き、宗教と政治が大嫌い。
ひょんなことから手にした大金入りスーツケースをめぐってギャングや警察に追われることとなり、途中で知り合ったひと癖もふた癖もあるおかしな仲間とともに珍道中を繰り広げる。

で、この珍道中の合間にアランの身の上話が挿入される構成。
鋳造所で爆発物の専門家として働いていたが、同僚に誘われ革命真っ只中のスペインへ。そこで共和軍に捕まり橋の爆破を命じられていたが、ある日爆破に巻き込まれるのを助けてやった男が、実はフランコ将軍で・・・。
その後アメリカに渡り原爆の開発に悩むオッペンハイマーにアドバイスしたり、それがきっかけでトルーマン大統領と酒を酌み交わす仲になったり、と「歴史の陰にアランあり」てな具合に、ツッコミどころ満載の、相当ハチャメチャなコメディです。

主人公が歴史的エピソードと絡む、というのは『フォレスト・ガンプ』みたいですよね。

100歳の今まで成り行き任せで生きてきたアラン。何事にも動ぜず、自分を追ってきたギャングの一味が死んでも気にしない。
それどころかギャングの親玉とも仲良くなっちゃって、大金を山分けして一緒にバリにヴァカンスへ・・・なんて、荒唐無稽もいいところ。

「誘拐事件+殺人事件!?」として追ってきた警察への言い訳というか誤魔化し方が、無理がありすぎる!でも面白い!

元気高齢者の活躍に心から笑えます。

紹介ページ:
http://www.nishimurashoten.co.jp/pub/details/403_706.html

映画『100歳の華麗なる冒険』
http://www.100sai-movie.jp/

ジョエル・ディケール著『ハリー・クバート事件』感想

アメリカの田舎町が舞台となっていますが、書いたのはスイス人作家のジョエル・ディケール。アメリカに親戚がいて、夏休みにはいつもそこで過ごしていた、というから、作者には旧知の世界なんでしょうが、それでも「いかにもヨーロッパ人が描きそうな『アメリカ』だ」と批評されたとか。
2012年に発売以来、全ヨーロッパで200万部以上のメガセラーとなった話題作だから、そういうのもあるでしょ。

2008年。デビュー作が大ヒットして一躍ベストセラー作家となった新人マーカスは、スランプに陥り第2作の執筆に行き詰まっていた。そんなとき、大学の恩師で、かつて「悪の起源」のいう恋愛小説で国民的作家となったハリー・クバートが、少女殺害事件の容疑者となる。33年前に失踪した美少女ノラの白骨死体が彼の家の庭から発見されたのだ。
マーカスは、師の無実を証明すべく事件について調べはじめる。

当時――1975年――アメリカの海沿いの田舎町・オーロラに家を借りた34歳のハリーは、15歳の少女ノラと恋に堕ちた。未成年の少女との恋愛は犯罪。その関係は隠し通さねばならぬものだった。しかしスランプだったハリーは、ノラというミューズを得て『悪の起源』を書き上げる。
とうとう二人で駆け落ちを企てたが、その日ノラは待ち合わせの場所に現れず、そのまま行方不明となった・・・。

次から次へと新事実が出てきて、それがまた謎を呼び、「いったいどうなってるんだ!?」という怒涛の展開。上下巻合わせて約800ページありますが、ページを繰る手が止まらなかったですね。

ノラがハリー以外にも複数の男性と交際していた形跡があって、でも調べてみたらもっとすごい事実があったとか、「え、この人が事件に絡んでくるの?」とか、これでもかこれでもかとネタを仕込んでくる。

そのため、詰め込みすぎな感はあるけれど、最後で一気に伏線は回収されてはいるけど、結構ラストは強引な印象。

でも面白かった~。

長谷川嘉哉著『介護にいくらかかるのか?―いざという時知っておきたい介護保険の知恵―』感想

先日、お医者様でファイナンシャルプランナーでもある方の講演を聴く機会がありました。それで大変感銘を受けたので、さっそく著書を購入しましたよ。

「医者がお金の話?」と怪訝に思う人もいるかもしれませんが、せっかくの公的制度があるのに知らないで損をしている人を救う、という話です。

長谷川嘉哉医師は、認知症を専門に診るお医者さんで、在宅医療にも精力的に取り組んでいらっしゃいます。

本書を書こうとしたきっかけは、ある患者さんとの出会いから。

「若年性アルツハイマー病」と診断された患者がある大病院から長谷川医師のクリニックに転院してきたのですが、「精神障害者手帳」を持っていなかった。
認知症なら申請すれば手帳を受け取ることができ、そうすれば医療費はタダになったはずなのです。「誰もおしえてくれなかった」がために、その方は医療費を3割負担してきたわけです。

日本って「申請主義」だから、制度があってもこちらから言わなきゃ恩恵に預かれないじゃないですか。

介護は、介護される人はもちろんですが、介護する方にも大きな負担、ストレスを強います。
公的制度をうまく利用して、お金に関する負担を少しでも軽減できれば、介護もずっと楽になるんじゃないでしょうか。気分的に。

だから、公的制度に何があるかを知ること、じゃなかったら制度を知っている人を知っていることが大事、と本書では説いています。

また、民間の保険を活用することについても書かれています。

死んだらときのために、生命保険で備えることができる。
入院したときのために、医療保険で備えることができる。

で、死なないで障害が残ったり常時介護が必要な体になってしまったときは?

その辺ってイメージしづらいというか、自分には関係ないと思っちゃうくらいですが、実はそうではないんですよね。

これだけ医療が発達して、寿命も延びると、昔なら死んでいた人が生き残るわけです。

今回初めて知ったのですが、高度障害になると生命保険が受け取れるんですが、いわゆる「片麻痺」って、高度障害にならないんですね。

脳血管障害が起こると、片方に麻痺が残るケースが多いですが、「高度障害」の定義では対象にならない。
対象にならないということは、住宅ローンも免除されない。

働けないのに、保険もおりないし、住宅ローンも残る。「いっそ死んでくれてたら・・・」と物騒なことを考える家族もいるかもしれませんね。

そこで本書では、終身の介護保険がおすすめされています。ただ、保険料は掛け捨て、保険金が下りる基準が会社によって違うので、よく比較する必要がありますが、検討する余地はありますね。

これからの時代、お金の知識を持っておくことは自衛のためにもいいことですよね。とくに私みたいな「お一人さま」は。とても為になりました。

長谷川医師のホームページ:http://yoshiya-hasegawa.com/

岸見一郎・古賀史健著『嫌われる勇気』感想

フロイト、ユングと並び「心理学の三大巨頭」と称されるアルフレッド・アドラー。その思想(アドラー心理学)を、「青年と哲人の対話」という物語形式で紹介しています。欧米で絶大な支持を誇るアドラー心理学は、「どうすれば人は幸せに生きることができるか」という哲学的な問いに、きわめてシンプルかつ具体的な“答え”を提示します。

世界はシンプル。自分がそれを複雑に考えているだけ。

「変わりたい、幸せになりたい」と願いながら変われずにいるのは、「新しい自分」の未来が予測できず不安だから、変わらずにいた方がいっそ楽だから。

すべての悩みは対人関係の悩みである。

「他人に認められたい」という承認欲求すら認めない。
他者からの評価を気にしてばかりでは、人は自由にはなれない。だから我々は他者から嫌われることを恐れてはならない。

他者は敵ではなくて仲間だと思う、共同体感覚を持て。そのためには、自分への執着を、他者への関心に切り替えていく。
承認欲求にとらわれている人は、結局は他者が自分にどのくらい注目してくれているのか、どのくらい自分の欲求を満たしてくれているのか、ということしか考えていない。

共同体感覚を持てるようになるために必要なのが、「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」。

ありのままの「この私」を受け入れる。他者を信じるにあたって、一切の条件をつけない。
人は「誰かの役に立てている」と思えたときにだけ、自らの価値を実感することができる。実際に何かしなくてもいい。他者への貢献感=幸福と言っていい。

「いま、ここ」に強力なスポットライトを当てよ。すなわち、今できることを真剣に、かつ丁寧に行っていくことだ。

アドラー心理学を特徴づけるのが、「目的論」。人は過去の原因(たとえばトラウマなど)によって突き動かされるのではなく、いまの目的によって動いている。例えば、「ついカッとして怒鳴った」のではなく「怒鳴り声をあげるために怒りの感情をつくり出した」と考える。怒りの目的は大声で相手を威嚇して、屈服させることなのだと。

アドラー心理学では、トラウマを否定する。
もしも「過去の原因」がすべてを決定するのなら、我々は過去に縛られたままなにもできなくなってしまう。それに対してアドラーの目的論は、「過去になにがあったとしても、これからの人生になんの関係もない」と言う。

「哲人」と「青年」の対話というスタイルは、プラトン哲学の古典的な形式でもある、とのことですが、私はニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』を想い起しましたね。
「人生は連続する刹那」という考え方が、ニーチェの「一切の価値の変換」とか「今この瞬間死んだとて悔いのない生き方をせよ!」という思想と重なるせいなのかもしれません。

血気盛んで、猜疑心が強く、呑み込みも悪い青年が、たびたび「ちょっと待って下さい!」と立ち止まり、課題の整理をしてくれるので、内容がとてもわかりやすいですね。

しかしそんな青年が、最後の最後で「僕にもそんなふうに考えられるでしょうか」と“改心”して、哲人のもとを希望を抱いて去る、という急展開には「アレ・・・」と置いてきぼりを食らった気がしましたけど。

でも、正直「またか」と思いましたね。
ありのままの自分を認め、無私の心で他者に尽くし、丁寧に生きる。そうすれば幸せになれる・・・なんて100万遍読んだ(←大げさ)。

私はいったい何を求めているのか・・・。

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