書籍・雑誌

フィリップ・クローデル『ブロデックの報告書』感想

戦後まもなくの頃、何処かの国境にある辺鄙な村で起こった殺人事件。村の男たちが共謀してある日突然やってきた男、名前も目的も分からぬまま「アンデラー=よそ者」とだけ呼ばれる男を殺害した。語り手であるブロデックが、村人たちから事件の「報告書」を書くよう依頼される。それは、事実そのものを記録するためではなく、「殺害はやむなし」と周囲に納得させるものでなけらばならなかった。

ブロデックは、その「報告書」を書く傍ら、いわば自分自身の報告書とでもいうべき手記を書き始める。 
ブロデック自身はアンデラー殺害に関与していない。呼ばれなかったのは、彼自身「よそ者」だったからある。
かつて戦争の時代、村を占領した異国の軍隊に「民族浄化」の実践を強要された村人から密告され、収容所へ送られた体験を持つ。ブロデックは、犬の真似をしてまで生き残ろうとし、かろうじて収容所から生きて帰ったのだ。

因習に囚われた村で起きた殺人、収容所でブロデックが体験したこと、戦時中村で起こった陵辱事件、と書かれている事柄は凄惨極まりないのだが、なぜか哀しくも美しく、その世界に没入してしまう。

どこの、いつの時代の出来事かはっきり書かれていない。しかし、その村がフランスとドイツの国境地帯にあり、村を占領した異国の軍隊――「フラテルゲカイメFratergekeime」と呼ばれている――は、ナチス・ドイツであることは容易に想像できる。
ブロデックはユダヤ人であり、養い親フェデリーヌが話す「古い言葉」とは、イディッシュだろう。

アンデラーder Andereという言葉は、ドイツ語で「もう一つの、別の」を意味する。
アンデラーは、宿を貸切りにし「肖像画と風景画」展を開き、村人を招待する。本人に知らされず描かれた肖像画は、本人にそれほど似ていないが、本人の本質や目を背けていたいことを思い出させるような画であり、風景画ですら何かしら暗示していた。何のためにそれを行ったのか、彼は答えなかった。

「人は黙っている人を恐れる。何も言わない人を恐れる。見つめているだけで何も言わない人を恐れる。」(p253)

それが引き金となって、あの悲劇がおこった。

異質なものを排除することで維持される共同体のシステム、というのがテーマの一つであろう。
それが国家規模で行われたのが、ナチス・ドイツの時代だ。国策によるユダヤ人迫害。「フラテルゲカイメ」の国の首都(=ベルリン)の大学に行ったブロデックが出くわした「ピューリシェ・ナハト(民俗浄化の夜)」は、ユダヤ人商店を襲撃した「クリスタルナハト(水晶の夜)」である。
しかし「異質なものの排除」は過去のものではない。現代でもなお、それは世界中のあらゆる場所で行われているのだ。

ブロデックの報告書 ブロデックの報告書

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ギュンター・グラス『箱型カメラ』感想

前作『玉ねぎの皮をむきながら』でナチスのSS隊員だった過去を打ち明けたギュンター・グラス、今度はその後のこと、自らの私生活を告白した。

前作は、少年時代から作家として成功するまでの時期を描き、ビルドゥングスロマン(教養小説)みたいな趣だったが、その後を描く本作は、うってかわっておとぎ話かメルヒェンといった感じだ。自伝なのに。

語り手はグラスの8人の子どもたち。両親の離婚と再婚(と愛人関係)によって兄弟となった彼らが一堂に会して、「父親グラス」のことを語るという構成である。

子どもたちはもちろん仮名で登場するが、自分たちの複雑な家庭環境が改めてクローズアップされて、あんまりいい気持ちはしなかったんじゃないだろうか。
ただ、グラスの視点から自伝を書こうとすると、男女のいきさつを詳しく語らざるを得なく、生々しくなりすぎる。第三者(子どもたち)が語るという形をとることによって、その辺を曖昧にぼかすことが可能だ。しかもこの会話自体フィクションだと明言されているので、どこまでが本当でどこまでが創作か、読者の想像にまかされることになる。

そして、バラバラの家族を見守り繋ぎ合わせる役目として、旧知の写真家マリア・ラーマ、「マリーおばさん」が登場する。
彼女が、旧式の箱型カメラをパチっとやる。すると写真には被写体のありのままの姿ではなく、過去や未来の姿が映し出される。それどころか本人の願い事が投影されるのだ。例えば、犬が飼いたいと願った娘の写真には、犬と戯れる娘の姿が・・・。
この現実と虚構の境界線に立つ「マリーおばさん」の存在が、本作をよりおとぎ話めいたものにしている。

成人し離れて暮らす兄弟たちが一同に会し、父親のことを語る。父親の葬式の後という状況を連想した。グラスはこれを、箱型カメラで撮った未来(あるいは願望?)の姿として描いているのか。ひょっとすると、本作が遺作になると考えているのか。

だが最後を締めくくるのはこんな言葉だ。「父親の中には今でもまだまともに働いている部分があり、それについて片をつけなければならないからだ、生きている限り・・・・」
次作を予感させる言葉だ。

箱型カメラBook箱型カメラ

著者:ギュンター・グラス
販売元:集英社
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中村真人著『素顔のベルリン――過去と未来が交錯する12のエリアガイド――』

買ったばかりなのにパーツが欠けていたネグリンのリング、お店に持っていったところ、新しいものと交換してもらえることになりました。他店舗から取り寄せるのでちょっと時間がかかるそうですが、修理に出すと2~3週間かかるらしいので、よかったです。
でもこんなことってあるんですね~。

さて、ベルリンについてのガイドブックを購入しました。

地球の歩き方GEMSTONE 037
『素顔のベルリン――過去と未来が交錯する12のエリアガイド――』

中村真人 著 ダイヤモンド社
定価 1,500円+税


ベルリンを12のエリアに分けて紹介。しかもお散歩モデルコースまでついている♪
観光名所も載っているんですが、観光客があまり行かないような下町を紹介、さらにカフェ情報から歴史の解説まで載っていて、実に隙のないガイドブックです。写真もすごくきれい。
初めての人、よりはリピーター向けかな。

あえて難点を言えば、字が小さくて見づらいことか。

来年はこの本を持って、クロイツベルクやシェーネフェルトを歩きたいわぁ。

著者・中村真人さんのブログ「ベルリン中央駅」
http://berlinhbf.exblog.jp/


素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド (地球の歩き方GEM STONE)Book素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド (地球の歩き方GEM STONE)


著者:中村 真人

販売元:ダイヤモンド社
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ユーディット・ヘルマン著『幽霊コレクター』感想

『幽霊コレクター』

ユーディット・ヘルマン著/松永美穂
河出書房新社 定価1,800円+税

デビュー作『夏の家、その後』がドイツでベストセラーとなり数多くの賞を取った女性作家ユーディット・ヘルマンの第2作目で短編集。
『夏の家、その後』を書店でぱらぱらめくって、こういう繊細な話はちょっとね・・・ということで私は読んだことがなかったが、食わず嫌いはよくないと思い、図書館にあったので読んでみた。

表題作『幽霊コレクター』。原題はNichts als Gespensterで、直訳すれば「まさに幽霊」「幽霊以外の何者でもない」という意味。
恋人とアメリカを旅するエレンは、ネバダ州の砂漠の真ん中の街で泊まることになる。そこには幽霊が出ると噂のホテルがあった。夜、二人がバーに行くと、客の中に幽霊の写真を撮りに来たという変わった女と、常連客のバディーという男がいた。エレンがこのバディーに心惹かれて…という感じで、幽霊話はおまけ。

このように、恋人がいても未知の男に心揺れる女とか、旅行ばかりして一ヶ所に留まらない根無し草のような生活を送る女が登場する。

女が他の男に興味を持つのは、浮気っぽいとか「運命の恋」とかいうわけではない。
漠然とした不安を抱えた女たちは、未知の男に対して、恋というよりは非日常的なものへの興味、あるいは日常を変えてくれるのではないか、というようなかすかな期待を抱いているのではないか。という感じがした。

刹那的で根無し草のように寄る辺ないところが、現代の気分にマッチしてるのだろう。

表題作は映画化されたそうだが、この盛り上がりに乏しい話をどのように膨らませたのかしら。

幽霊コレクター Book 幽霊コレクター

著者:ユーディット ヘルマン
販売元:河出書房新社
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ダニエル・ケールマン著『世界の測量 ガウスとフンボルトの物語』感想

世界の測量 ガウスとフンボルトの物語
Die Vermissung der Welt
ダニエル・ケールマン著/瀬川裕司訳
三修社 定価1,900+税

なんとも、痛快。

ウンター・デン・リンデンにあるベルリン・フンボルト大学の創始者ヴィルヘルム・フォン・フンボルトの弟にして、博物学者・地理学者アレクサンダー・フォン・フンボルト。(フンボルトペンギンやフンボルト海流にその名を残す。)
天文学者・物理学者であり、近代数学のほとんどの分野に影響を及ぼした数学者カール・フリードリヒ・ガウス。
この、学問の世界に偉大な足跡を残したドイツ人ふたりを主人公に据えた、奇想天外な小説。

1828年、フンボルトとガウスがベルリンの会議で出会う。ここから物語は時をさかのぼり、1章ごとに彼らの生い立ちを描き出す。
そして現在(1828年)に戻り、ガウスの息子が学生運動に巻き込まれるという事件をとおして二人は意気投合する。
その後も交流は続き、二人の状況が交互に描かれ、ロシア探検に旅立ったフンボルトと、家で望遠鏡で天体を見ているガウスが一つになる幕切れは鮮やかだ。

片や現場を歩き回っての情報収集、片や得意の数学を使っての理論構築。対照的な方法で世界の測量に取り組んだこの二人をくっつけた、というのがこの小説の面白さ。偏屈で傲慢なガウスに対し、世慣れているようでいて、研究のためなら周囲もお構いなしのフンボルト。歴史的人物を扱った話って、面白くないものが多い(と思う)のですが、軽やかでテンポもよくってついつい引き込まれます。フンボルトの助手ボンプランのボヤキもまた楽し。

「一八二八年九月、国内最高の数学者が、ベルリンで開催されるドイツ自然科学者会議に参加するために、長年住み慣れた街を久々に離れた。もちろんそんなところに行きたくはなく、何か月にもわたって拒み続けたのだが、アレクサンダー・フォン・フンボルトからの誘いは執拗だった。だから彼は、少し弱気になっていた時期に、そんな日が永遠に来ないことを祈りつつ、参加を承諾する返事をしてしまったのだ。」

小説の冒頭ですが、こんな感じ。
特にフンボルトの南米探検のくだりはワクワクします。200年も前にこんなドイツ人がいたんだな~。

『僕とカミンスキー』じゃなくて、こちらの方を映画化すればいいのに。無理か。

世界の測量 世界の測量

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ダニエル・ケールマン著『僕とカミンスキー』感想

ダニエル・ケールマン著/瀬川裕司訳
定価1,800円+税 三修社

全世界的ベストセラー『世界の測量』の著者ダニエル・ケールマンを有名にした出世作。

無名な美術評論家ツェルナーは、金と名声を得るために、マチス最後の弟子で「盲目の画家」として一時大変な人気を誇っていたカミンスキーの伝記を書こうと思いつく。
アルプスの山奥にあるカミンスキー宅を訪れたが、娘のミリアムが仕切っていて、本人と自由に話が出来そうにない。家政婦を買収し、ミリアムが留守のときに本人に接触。カミンスキーの若き日の恋人が、今も北ドイツで健在という情報をカミンスキーに教えたところ、「私をそこに連れて行け」。かくして奇妙な二人旅が始まる・・・。

ツェルナーが伝記を書こうと思った理由は、彼の芸術に感銘を受けていたわけではなく、もうすぐ死んでしまい、ツェルナーはしばらくは話題になると踏んでのこと。このようにいけすかない人物だが、カミンスキーはさらに上手の、ずるくて身勝手な男であった。勝手にヒッチハイカーを拾って、挙句車を盗まれる、人の金で二人分の食事を頼む、そのくせ自分お金で娼婦を呼ぶ・・・。そして最後の最後でのどんでん返しに、読者は唖然としてしまうだろう。

こんな二人の珍道中にもかかわらず、海が見たいと言うカミンスキーを海にまで連れて行くラストはさわやかだ。

本作は『グッバイ・レーニン!』のヴォルフガング・ベッカー監督、ダニエル・ブリュール主演で映画化が決まっているそうだが、映画化するほどの内容かな・・・。

僕とカミンスキー 僕とカミンスキー

著者:ダニエル・ケールマン
販売元:三修社
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ベルンハルト・シュリンク『帰郷者』感想

『帰郷者』ベルンハルト・シュリンク著・松永美穂訳
新潮社クレストブックス 定価2,200円+税

現在公開中の映画『愛をよむ人』の原作者、ベルンハルト・シュリンクが『朗読者』から11年ぶりに出した長編小説。

母ひとり子ひとりの家庭に育ったペーターは、祖父母の家で、収容所から妻の元に戻る帰還兵の物語の断片を見つける。妻の隣には他の男がいて…というところで物語は途切れていた。
大人になったペーターは、物語の作者を探すうち、バーバラと出会い恋に落ちる。しかし彼女には行方不明の恋人がいて、ある日その男が訪ねてきた。
 バーバラと別れたペーターは失意の日々を過ごすが、壁崩壊後のベルリンでバーバラと再会。夫とは離婚していた彼女とよりを戻す。
 出版社で働くペーターのもとに本が届く。その本の著者の名は、アメリカの著名な法学者ジョン・ド・バウアー。ペーターは、ド・バウアーが例の帰還兵の物語の作者で、なおかつ自分の父ヨハン・デバウアーその人ではないか、という考えに取り憑かれる。
いてもたってもいられなくなったペーターは仕事を辞め、バーバラを置いてN.Y.に飛ぶ。ゼミの学生としてド・バウアーに近づいたペーターは、彼の私的なゼミに招待される。
 しかし陸の孤島のような場所で行われたゼミでは、思いもよらぬことが起こる。その黒幕がド・バウアーだと知ったペーターは、父との決別を決意し、バーバラの元に戻る。
彼女の隣に男は――いなかった。

帰還兵の物語が、実は死んだと聞かされていた父親の意外な事実に繋がっています。
ホメロスの『オデュッセイア』は、妻の元に戻ったが、父は母の元に戻ってこなかった。しかも偽名を使って別人として生きていた。それは、ナチスの大物と関わりを持っていた彼が、戦後ナチス戦犯として裁かれるのを逃れるためだった。『朗読者』でも出てきた、「ナチスが戦後のドイツに落とした影」というテーマがここでも出てきます。

悪魔的に魅力的なド・バウアーが唱える「鉄の掟」――自分自身に耐える用意があるならば、他人にもそれを味合わせる権利がある。自分に死ぬ覚悟があるならば、他人を殺す権利がある、という思想は、何もナチス時代ならではのものではない。
いついかなる時代でも、「正義」という名のもとに、人は悪を行う用意がある。そのために、自分の良心を悪に売り渡すことだって出来る。
こういう深いテーマあり、父と母、父と子、主人公とバーバラのドラマあり、壁崩壊直後のベルリンについての話もありで、『朗読者』より楽しめました。

ゼミのくだりが、読みながら「ええっ?いったいどうなっちゃったの?」というサスペンスな展開でした。でもそういやこの作者、もともと推理小説書いていたんだっけ、と納得。

そうそう、「逃亡したナチス戦犯」というモチーフで思い出すのは、ヨーゼフ・メンゲレとその息子の関わりを描いた『My Father』。もし『帰郷者』が映画化されるのなら、ペーター役はぜひトーマス・クレッチマンでお願いします(笑)。

帰郷者 (新潮クレスト・ブックス)Book帰郷者 (新潮クレスト・ブックス)

著者:ベルンハルト シュリンク
販売元:新潮社
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ハンス・エーリヒ・ノサック『滅亡』感想

『滅亡』ハンス・エーリヒ・ノサック著 神品芳夫訳
岩波文庫 短編集『死神とのインタヴュー』収録

ゼーバルトが『空襲と文学』の中で取り上げた、1943年7月のハンブルク大空襲についてのルポルタージュ。空襲の3ヵ月後に書かれたものです。学生のとき授業で取り上げられ、訳に四苦八苦したことを思い出します。

ノサックはハンブルクの住民だったが、空襲の2、3日前に休暇で郊外の村に行っていて、被災を免れた。市の外から、傍観者として市が滅亡するところを見ることとなった。

被災者たちの多くは南ドイツへ移動した。その一方で、ハンブルク市内へ戻ろうとする者もいた。ノサックもその一人だった。
しかしそこは廃墟であり、墓場であった。
ノサックは自分の事務所の目の前にあった聖カタリーナ教会の無残な姿を見て、いつも見慣れていた風景をどんなに愛していたか、瓦礫と化した我が家を見て、どんな小さなものでさえ自分の一部であったこと、そしてそれは二度と帰ってこないことを悟り呆然とする。

ゼーバルトは『滅亡』から、ハンブルク大空襲の壮絶さを示す箇所ばかり引用しているが、この作品で繰り返し述べられているのは、悲劇に直面した人々の、一言で言えばそれに対する「なす術のなさ」である。

避難民たちは全てを失ったことを嘆き悲しみも、逆に涙をこらえて毅然とした態度をとることもしない。ただ、悪霊が彼らの口を窒息しそうになるほど塞いでいるかのように押し黙っている。そして救いの手を差し伸べてくれた側との間にすれ違いを生じる。
悲劇を「経験した者」と「しない者」、それぞれの現実を理解しあうことは、しょせん不可能なのだ・・・。

ゼーバルトは、空襲体験者たちはそれについて語ってこなかった、と非難しているが、当のノサックは「何のためにこれらすべてを書き留めねばならないのか。なぜならその場にいあわせた者はそれを読む必要がない。またほかの人々はどうなのか。もし彼らが、異様な実話をたのしみ、そのことによって自分の生命感を確かめるためにのみ読むとすればどうだろう。」と述べている。
当事者は、「この悲劇が何故起こったか」と追求することに疚しさを感じていたから語ってこなかったのではなく、思い出したくもなかったのだ。

「わたしはその顛末を報告する責任があると感じている。・・・まずもってこの報告を済ませておかないとわたしの口は永遠に閉ざされたままになると感じられる。・・・当時起こったことを現実のものとして理解し記憶に組み入れることは、通常の理性には絶対不可能となるであろうから、その体験が悪夢のようになってだんだんにぼやけてしまうのではないかとおそれる。」


この『滅亡』はルポルタージュ風だが、ノサックの作品は神話の世界を題材にしたものもや幻想的なものも多い。同じ本の中の、『ドロテーア』や『カサンドラ』もよかった。

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コルネーリア・フンケ『魔法の声』感想

機内上映で見た日本未公開の映画「INKHEART」。原作は、ドイツで大人気の児童文学作家、コルネーリア・フンケの『Tintenherzティンテンヘルツ:インクハート』。日本では『魔法の声』という題名で、WAVE出版から出ています。
インクのように黒い心、「闇の心」を持った悪漢に立ち向かう12歳の女の子の物語です。

メギーは本の修繕を生業とする父モルティマ(モー)と二人暮し。母親の記憶はない。
ある日、「ホコリ指Staubfinger」と名乗る男が訪ねてきて、「あの本をカプリコーンに渡せ」と迫った。
翌日、逃げるように大叔母エリノアの家に行ったが、しかしモーはカプリコーンの一味に連れ去られてしまった。メギーはホコリ指の案内で、エリノアとともにカプリコーンの村へ向かう。
 実はモーは、本を朗読すると、物語の登場人物や物をこの世に呼び出すことが出来る魔法の声の持ち主だった。しかしそのかわりに現実世界のものが本の中に入ってしまうのだった。メギーが3歳のとき、『インクハート』という本を朗読していたときに、悪漢カプリコーン、その手下バスタ、火を吐く大道芸人のホコリ指を呼び出してしまった。そしてメギーの母テレサが本の中に送りこまれたのだった。
モーは妻を取り戻すため、ホコリ指は元の世界に返るため、カプリコーンは「あるもの」を呼び出すため、『インクハート』を求めていた。

カプリコーンが呼び出したいものとは、あらゆるものに死をもたらす<影>という不死の怪物。
メギーがモーの能力を受け継いでいることが判明すると、カプリコーンはメギーを着飾らせ、<影>を呼び出すための儀式を行うことにした。

なんやかんやあって、最後は母親とも再会してハッピーエンド。声を失った母親のために、自分で物語を書きたい!と願うところで第1部・完。そう、これは3部作なのです。
第2部が『
魔法の文字(原題Tintenblut(インクの血) 』(WAVE出版)、第3部が未訳で『Tintentod(インクの死)』。

映画では、カプリコーンの村を逃げ出すのに『オズの魔法使い』を朗読して竜巻を起こしたり、メギーが『インクハート』の内容を書き換えてピンチを脱したり、原作より派手な展開になってましたね。
エリノア演ずるヘレン・ミレン(『クイーン』でエリザベス女王を演じた女優)がバイクで疾走、かっこいいー!日本公開、するのかな・・・?

コルネーリア・フンケのサイト
http://www.corneliafunke.de/

映画『INKHEART』のサイト
www.inkheartmovie.com

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フリードリヒ・グラウザー『狂気の王国』感想

『狂気の王国』フリードリヒ・グラウザー著・種村季弘訳
作品社 定価2,400円+税

ベルン州捜査警察刑事シュトゥーダーのもとに、精神病院の医師から警護してほしいとの要請を受けた。何でも患者の一人が失踪、同時に院長までもが姿を消したというのだ。早速かけつけて捜査に当たるが、院長は死体で発見され、所持金も盗まれていた。さらに容疑者の看護士が自殺を図り、事件はますます謎めいていく。むき出しの無意識の世界、マット(狂人)の支配する王国で繰り広げられる犯罪を相手にシュトゥーダーはいかに立ち向かっていくのか・・・。(作品社ホームページより)

原題は「Matto regiert (Mattoはイタリア語で「狂人」)で、直訳すると「狂人が支配する」となります。
意外な人が犯人でしたが、真相については、何しろ相手は正常ではない者、どこまで本当だか分からない。謎めいたまま・・・。さしもの名刑事も、精神病院という独特の世界では空回りするだけで、振り回されっぱなし。

それに輪をかけて謎めいているのが、精神科医のラードゥナー博士。当時最先端だった精神分析を行う改革派のやり手で、仮面のような微笑を持つ男。一部の患者や看護士から崇められているが、そんなのは意にも介さない。彼の頭にあるのは診療のことだけ。シュトゥーダーを呼んだのは、心理学に並々ならぬ関心があるらしい彼に捜査を任せれば、診療の妨げにならないと思ったから・・・。
事件が一応の決着を見て、シュトゥーダーは病院を去る。別れ際にラードゥナーが自らピアノを伴奏し、夫人にシャンソンを歌わせる幕切れは、なんというか鳥肌が立つような緊迫感。「狂気は伝染する」と、本書の中で誰かが言っていたが、この精神病院という「王国」を支配する「マット」は、実は、ラードゥナーその人なのではないか・・・?

作者のグラウザーは、ギムナジウムを放校処分になったあと、各地を転々としながらさまざまな職業につきました。外人部隊にいたこともあり、このときの経験が作品に生かされています。その間に「シュトゥーダー刑事」シリーズを書いて、一躍有名に。しかしモルヒネと縁が切れずに、精神病院で一生を終えます。作品には作者の生涯がかなり色濃く反映されており、ラードゥナー博士や失踪した院長などにもモデルがいるそうです。

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